仏生山へ行ってきた その4

2023年5月3日

ようやく仏生山に着いた。

仏生山駅名標

これから駅周辺を見て回る。

側線の車両群

側線にはいくつかの編成が停まっている。手前2編成は1200形、右端にチラッと見えるのが1100形。

仏生山駅のホーム全景

一宮行きを見送った後のホーム。奥は高松築港方面。仏生山駅は単式、島式ホームを1つずつ有する2面3線の駅だ。このほかに車両を検査する工場を持つので、側線がたくさんある。

配線を見るとけっこう複雑だ。右奥に見えるのが工場だ。

ことちゃんとことみちゃんのゴミ箱

ことちゃんとことみちゃんのイラストの入ったゴミ箱。「そのゴミ すててもいいんだよ…」と言ってくれるのは嬉しいのだけど、現在は使用中止となっている。

家具の榊原

改札を出ると、こんな看板が。私が小さい頃からある家具屋のものだ。こういう昔ながらのものを見つけると嬉しくなる。

仏生山駅

仏生山駅舎。右の自転車置き場がある場所は以前はコトデンスーパーということでん直営のスーパーマーケットがあった。でも、ことでんが経営破綻した際に全店閉店してしまった。

100形120号

2021年(令和3年)まで運行していたレトロ電車のひとつ、100形120号だ。1926年(大正15年)にデビューしたことでんのオリジナル車両のひとつだ。2007年(平成19年)まで各線で活躍したのち、運用から外れて動態保存となっていた。今後は事業用の車両として余生を過ごすという。

120の台車の刻印

台車は途中で履き替えているようだ。それでも昭和16年だから80年以上前のものだ。

ガソリン道

今、120が停まっている側線は駅横で切れているけど、かつては塩江温泉鉄道(のちに琴平電鉄塩江線)の路線だった。昭和4年開業、昭和16年廃止と短命すぎるため、今や幻の鉄道となっている。もし、存続していたとしても、当時の時代背景を考えると不要不急路線として廃止されていたかもしれない。この路線は電化されておらず、ガソリンカーが走っていたので、今は道路になっている奥へ延びる道は「ガソリン道」と呼ばれている。いずれ廃線跡を巡りたいと考えているけど、当時の時刻表はあるものの、史料も遺構も少ないので、できるかどうか。

側線の車両群

工場方面へ向かい、先ほど見た車両を逆サイドから見る。朝日を受けて、黄色い車体がいっそう黄色くなっている。

デカ1と岡本行き

上の車両群の右奥に見えるのは電動貨車のデカ1。ことでんの事業用車両で、入れ替え用に使われている。今日は休日なので、パンタグラフは下ろされている。小さい頃が見ている車両で、特徴的な車体なので、いつまでもいてほしいと思う車両だ。

その隣には整備中の編成があり、よく見ると行先が岡本になっている。岡本行きなんてないじゃないかと思われるかもしれないけど、私が学生の頃の1991年(平成3年)のダイヤ改正まではあったのだ。この改正までは準急や瓦町-仏生山間の5両編成など他にも楽しい列車があったのだけど、結局どれも体験することなく廃止されてしまった。写真は1080形なのだけど、この系列が入った当時はこのダイヤ改正前だったため、岡本の行先標も準急の列車種別も作られたのだ。将来、高松築港-仏生山間の複線化が実現した際には本数を増やすか速達列車を走らせるかと言われているけど、速達列車が走れば今度こそ乗りたいと思う。

このエリアの片隅に置いてあったクーラー。左奥に見えるのはJRの車両でよく見かけるタイプ、手前は角ばったもので、ことでんではいずれも見たことがない。取り付ける予定でもあるのだろうか。

裏の小径

仏生山工場の脇の道を北へ上がる。中学高校の頃はことでんの撮影でよく通ったものだ。

高松築港行き

さらに進んで県道12号とのオーバーパスを歩いていると上り列車がやってきた。車両番号を見ると、私がさっき乗ってきた車両だ。もう一宮から折り返している。仏生山-一宮間はわずか5分、一宮では1分あるかないかの時間で折り返す忙しいダイヤになっており、私が降りてわずか10分ほどで戻ってきている。

今は増結用にのみ運用に入っている1070形。1984年(昭和59年)にことでんが初めて導入した冷房車両で、これで夏も快適だと思った。また、それまでにない外観に恰好いいと見入ったものであった。隣の全身黄色い車両は保線用車両。

琴平行き下り列車。これは先ほど瓦町を出たときにすれ違った車両だ。

300形300号

線路に近い細い生活道路を歩くとだんだん狭くなり、とうとう歩行者と自転車しか通れない細道になった。そこにもう1両のレトロ車輛が停まっている。300形300号で、これもオリジナル車両だ。120とともに2年前にレトロ電車としての仕業を終えている。1000形と同じ1926年(大正15年)に誕生、2007年(平成19年)まで営業運転をしたのちはレトロ電車としてイベントのみの運行となっていた。今後はこちらも事業用車両になるという。

無蓋貨車1310

ここにはもうひとつ、面白いものがある。貨車だ。もっと昔は工場内に有蓋貨車が留置されていたが、工場の建て替え時に廃棄されたようだ。ここにあるのは無蓋貨車で、台車が積まれている。形式は13000形1310号、元は国鉄のトラ1形で、戦後間もない1948年(昭和23年)に譲り受けたものだ。

台車

さらに築港寄りに台車が並ぶ。錆びて使えそうもないけど、これも貴重な遺構だ。

仏生山で降りて約30分、駅周辺を歩いて車両をたくさん撮った。ことでんでは仏生山か瓦町にいれば、いくらでも車両がやってくるので、1日いても飽きない。

次回はことでんではない、仏生山を歩いてみようと思う。今回はこんなところで。