仏生山へ行ってきた その8
空腹が満たされたので、先へ進もう。
突き当りを右に折れて緩やかな坂道を上ると法然寺の総門に出る。でも、私は目の前の石段を上る。
榺(ちきり)神社だ。この文字は変換しても出てこないので、手書きで出したものの、合っているのかどうか。勝でもなければ、藤でもない。榺というのは織機の一部で経糸巻だ。
そう高くはないけど、けっこう歩いてきたから堪える石段だ。
紀元二千六百年記念碑が立つ。上町一丁目とあるけど、この地名は今は使われていないか消滅したか。これも百相と一緒で、年配の方なら知っているのだろう。
これまで歩いてきたお成り街道を見る。今日は地域の人たちが周辺の清掃活動をしていた。
由緒によると、もともと浅野にあった神社が、平清盛の時代に仏生山は法然寺南にある平池(へいけ)の辺りへ遷座し、さらに時代が下って雄山(法然寺がある山)に置かれた。その後、1669年(寛文9年)に初代松平頼重公が満濃にあったお寺を雄山に遷したことがきっかけで神社が今の雌山に遷座した。目まぐるしい遷座、遷宮だ。こんなにも遷していいのだろうか。罰が当たらないか不安になる。
秣山(まぐさやま)公園の碑と時計台が立つ。秣山とは雄山の別名で、秣とは牛や馬の餌となる飼料にする草で、この辺りは入会地だったらしい。蔓草に覆われてよく見えない時計だけど、銘板のところをよく読むと平成4年に設置されたとある。
途中、らせん状になった山道を横切りながら石段を上る。この写真は中腹から撮ったものだけど、上まで登ると木に遮られて遠くが見えなかったので、この位置から。そして、石段を上り切ると拝殿の横に出る。本当は山の東の石段から上るべきなのだけど、お成り街道からそのまま正面の石段を上ってきた。
なので、拝殿の正面に回る。石畳の向こうに立派な拝殿が立つ。境内はそれほど広くない。
拝殿の中。榺宮と書かれた大きな扁額が掲げられている。
広くはないけど、この拝殿の背後には小さな祠がたくさん並んでいる。それらを見ていると、県内で目にし、耳にした神社が多い。これは讃岐国延喜式内二十四神が祀られいるからだ。
ぐるっと回れるので、本殿も見られる。
二十四神とは別に小さな鳥居と祠がある。左の石柱には天照大神と書かれている。榺神社の祭神は天照大神の妹だる稚日女尊(わかひるめのみこと)だ。若日女とは若く瑞々しい日の女神という意味だという。
大量の人形が祀られている。これは人形供養のための祓殿だ。
拝殿の手前の左右にも神社が並ぶ。金刀比羅神社。
キツネはいるけど、赤い鳥居は見当たらない稲荷神社。
工初神社。
春日神社。
天神社。青々としているのは梅の木。梅の実がたくさん成っていた。
拝殿には菅原道真の肖像画があり、中をのぞくと梅の紋が見える。
その脇には道真を祀る神社らしく牛の像があり、
書の三聖と呼ばれていたので筆塚もある。
随神門。
石段を下りる。
こちらが表です。裏から入って表へ抜けたのでなんだか変な感じだ。お成り街道を右に折れた坂道の途中にある。坂道を下りた正面には仏生山小学校がある。
今回はこんなところで。
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