敦賀へ行ってきた その3
次に乗るのは7時27分に上郡を始発で出る快速野洲行きだ。第2回全線完乗を目指す際に決めた「各駅停車に乗る」を実行するためで、このまま姫路まで行ってもよかったのだけど、確実に席に座れる上郡での乗り換えにしたのだ。
姫路発岡山行き普通列車が岡山へ向けて発車していった。ホームが緩くカーブしている。同じように列車を待つ人がいるけど、上郡からの人なのか、岡山方面から乗ってきた人なのかは分からない。奥に見える跨線橋のそのまた向こうに智頭急行線ののりばがある。
大坂方面。こちらはまっすぐレールが延びている。
20分ほどあるので、改札を出てみる。兵庫県では雨は降っていないようだ、
上郡駅は山陽鉄道の駅として1895(明治28)年に開業している。1890(明治23)年に三石まで開通したときに駅はまだなかったが、1893(明治26)年に新駅設置の請願を受けて設けられた。その後、1906(明治39)年に国有化、1909(明治42)年に山陽本線の駅となる。また、民営化後の1994(平成6)年に智頭急行が開業している。駅舎はかなり年季が入っている。
駅前にある上郡町観光マップ。右下に描かれているカッコいい武将は鎌倉幕府倒幕の兵を挙げ、のちに播磨国守護となった赤松円心。
可愛らしいけいすけじゃ。地元出身の江戸後期の幕臣・大鳥圭介がモデルとなっている。上郡駅設置を請願した人物でもある。
円心モロどん。何かと思ったらモロヘイヤ入りの手延べうどんだそうだ。どんなうどんなのだろう。ちょっと興味がある。上郡町は町おこしの一環としてモロヘイヤを使った様々な商品を開発している。
駅舎内の様子。正面の角はいかにもキヨスクがあったようなスペースだ。こんな駅ばかりで寂しくなったものだ。
赤松氏が着けた甲冑のレプリカと思われる。
再び外へ。駅前には小さな公園がある。
赤松氏の居城・白旗(しらはた)城。城の名前とは裏腹に難攻不落とある。
横断幕もある。
地元の中学生か高校生が作ったものらしい顔出し看板。
バスのりば。路線図を見ると上郡駅を中心に放射状に路線が延びている。
駅に戻る。野洲行きは降りたホームと同じ1番線から出る。
行先標。列車は折り返しではなく、網干辺りからやってきた回送だった。
225系の4両編成で、間延びした顔が特徴的だ。左に見える黄色い車両は岡山発智頭急行経由鳥取行きの特急「スーパーいなば1号」の187系気動車。
これに乗って加古川を目指す。
今回はこんなところで。
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