気ままな旅 その26(小野田線)

次に乗るのは9時27分発の小野田行きだ。小野田線も宇部線同様、学生時代の初乗り以来の乗車となる。

123系

車両は希少な123系。元国鉄の荷物電車・クモニ143形、クモユニ147形、クモヤ145形から国鉄がその最末期の1986(昭和61)年から翌年にかけてとJR東海が1988(昭和63)年にそれぞれ改造された車両だ。これは1986年の国鉄最後のダイヤ改正で廃止された荷物郵便輸送で余剰となった荷物電車を活用した。昔、宇野線でも見たことがあり、それは阪和線の羽衣支線で使われていたものが宇野線に転属したものだった。で、その車両は今、宇部線、小野田線で使用されている。

クモハ123

今日乗るのはクモハ123の2。つまり、2号機で、最初は可部線で使われていて、1991(平成3)年に下関に転属して宇部線、小野田線用の車両となって現在に至っている。

近畿車輛

昭和53年製だから47年選手だ。

車内の様子

車内の様子。105系同様、ロングシートだ。時間が来て発車。

小野田線は宇部線の居能と山陽本線の小野田との間と雀田と長門本山との間の2つの路線を持つ。1915(大正4)年に小野田軽便鉄道(のち小野田鉄道)が小野田-セメント町(現・小野田港)が開業。また、1929(昭和4)年に宇部電気鉄道(のちに宇部鉄道に合併)が沖ノ山旧鉱(のちの宇部港)-新沖山間を開業、1937(昭和12)年に雀田-本山(現・長門本山)が開業する。1943(昭和18)年に国有化、戦後の1947(昭和22)年に雀田-小野田港が開通し、小野田線が全通する。また、宇部線同様、石炭や石灰石の輸送で賑わった。

宇部線、小野田線に関しては成り立ちがけっこうややこしいので、この程度にとどめておきます。詳しくはwikipediaの

宇部線

小野田線

でどうぞ。

居能駅

3度目の居能。さっきの列車で降りればよかったとちょっと後悔している。

宇部線と分かれる

今度は逆に宇部線が分かれていく。

厚東川

これまた3度目の厚東川。向こうに見える橋は国道150号。

妻崎駅

レールが分かれ、側線も分かれ、

妻崎駅

妻崎に着く。側線は駅舎の横まで延びているから、貨物用の引き込み線だったのだろう。これまた古めかしい駅舎だ。

妻崎駅

分かりにくいけど、妻崎は構内踏切で連絡している。

妻崎駅

妻崎の改札口。

複線用地?

ちょっと気になるこのスペース。これも複線化用地なのか?

長門長沢駅

長門長沢。待合室があるだけの小ぶりな駅だ。

桜

沿線には桜がちらほら。そういえば、それほど桜を見ていないような…。

雀田駅

カーブの向こうにホームが見える。

雀田駅

9時40分、雀田に着く。ここが長門本山への支線の分岐駅だ。分岐した分かれ目に駅舎があるのは高徳線の池谷と同じ構造だ。分岐駅といっても、朝夕の1日3往復しかなく、朝の便は既に終わっていて、次は夕方まで列車はない。

雀田駅

そんな雀田で若い子が降りると思ったら山口東京理科大学の最寄り駅であった。

雀田駅

架線は見えるけど、レールが見えない。

桜

桜もこれくらい咲いていると見ごたえがある。

保線用車両

保線用車両が見えてきて、

小野田港駅

安全側線などが現れて、

小野田港駅

小野田港に着く。石積みのホームは長く、長大編成の貨物列車が行き交ったであろう、歴史を感じさせる駅だ。

工場群

沿線右手の住宅街に対して、左手は工場が建ち並ぶ。

南小野田駅

南小野田は1面1線のホームに武骨なコンクリートブロックの駅舎を持つ。

南中川駅付近

南中川の手前のカーブ。長い編成だったらいい画になるのに、1両では如何ともしがたい。南中川は撮っていなかったけど、ここで降りる人がけっこう多かった。

目出駅

小さな箱のような駅舎の目出(めで)。

目出駅

島式ホーム1つの1面2線の駅で、駅舎とホームは構内踏切で連絡している。

有帆川

目出を出ると、左手に有帆(ありほ)川の流れを見ながら走る。

有帆川

いったん離れるけど、今度はその有帆川を渡る。

山陽本線と合流

再び山陽本線と合流する。

小野田駅

ホームが見えてきた。

小野田駅

レールが外されて、寂しげなホームだ。

小野田駅駅名標

9時56分、小野田着。宇部新川から30分ほどの行程であった。

下松を始発で出たおかげで宇部線と小野田線は本山支線以外は乗ることができた。本山支線に乗ろうと思ったら近くまで来ておかなければ難しいということだ。乗るときはそうします。

山口県のJR線というと山口線や山陰本線が旅情があっていいとよく言われるし、私もそう思うのだけど、こうして、両線を乗ってみて思ったのは、これらと比べてもまったく遜色がないということだ。古くから貨物輸送で栄えていた分、駅の設備や規模が縮小された現在の凋落ぶりとの落差がまた違った雰囲気を醸し出していて、大事にしたいと思わせる。乗り通すだけではもったいない、そんな路線であった。

今回はこんなところで。