気ままな旅 その28(宇部~厚狭旧貨物線)
10時35分に小野田を出る。車両は撮っていませんが、115系です。で、気になったのがこれらの一連の写真。

小野田を出ると右手に不自然なスペースが続いていることに気付いた。

付かず離れず。電柱が見える。

まだ続いている。

バラストにPC枕木。これってもしかして…

明らかに山陽本線に並走して敷かれていた路盤の跡だ。

と言ってるうちに新幹線の高架が近づいてきた。

で、厚狭の構内入る。向こうから美祢線が寄り添ってくる。

立派なホームと国鉄チックな駅舎がお出迎え。

厚狭に着いた。昔、臨時快速「ムーンライト九州」が走っていた頃、夜に京都を出て、主要駅に停まりながら0時過ぎに岡山を発車すると次の停車駅が厚狭であった。朝一番に停車する駅を厚狭にしたのはシャレなのか?それはともかく、わずかひと駅、ここで降りる。
で、話を本題に戻すと、この路盤の跡は宇部-厚狭間にあった貨物線の跡である。1968(昭和43)年9月に3線化されたもので、美祢線の美祢駅にあった宇部興産の伊佐セメント工場で採掘された石灰石を宇部にある宇部興産の宇部セメント工場へ輸送するために設けられた。翌月に国鉄は白紙ダイヤ改正を控えており、それに備えての3線化となる。宇部セメント工場は宇部新川の近くにあるので、美祢との間を走るには山陽本線を横切る必要がある。が、当時は新幹線開業前で山陽本線の輸送量はひっ迫気味であった。そんな状況で貨物列車を通すのは難しい。そこで建設されたのがこの貨物線だ。電柱と書いたのは架線柱で、電化もされていた。ここで山陽本線を立体交差で跨いでいる。でも、これは写真に撮ってなかったけど、帰りの動画で撮っていた。

これは帰り道なので向こうが下り線。コンクリートの柱が立体交差の貨物線。

この真上が貨物線。

向こうのスロープで下りていく、という具合。行きは小野田で乗って、次の厚狭で降りたので、動画を撮っていなかった。この先、小野田を経て宇部までも行きの厚狭までで見たのと同じような状態で廃線跡が残されていた。
この貨物線は宇部興産が宇部伊佐専用道路を造って専用トレーラーで輸送するようになると、徐々に役割をそちらに譲ることとなり、1997(平成9)年に廃止された。
それにしても、このような遺構が今なお残っているのは嬉しいけど、こんな大事なことを今の今まで知らなかったというのはお恥ずかしい限りです。ホント、鉄道好きとはいえ、知らないことだらけです。
今回はこんなところで。







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