気ままな旅 その34(岩田駅)
旅の3日目。楠邸を拠点にあちこち行くのを旅と言っていいのかどうか疑わしいが、今日は近場をめぐる。

楠君がこの見学にでも行ってきたらと勧められていたのだが、どうもおっさんは行けそうになさそうだし、これに間に合う列車に乗り遅れたので、近隣の気になる駅めぐりをしたという次第。

最初に行ったのは岩田駅。1899(明治32)年に山陽鉄道の田布施-島田間に開業。1906(明治39)年に国有化、1909(明治42)年に線路名称制定によって山陽本線の駅となる。1934(昭和9)年~1944(昭和19)年の間は山陽本線から外れ、今の岩徳線にその任を譲り、柳井線となったこともあるが、以降は山陽本線の駅に戻っている。

古めかしい駅舎は1937(昭和12)年のもので、小駅ながらも重厚感がある。意匠も戦前らしいものになっている。

天井は格子状になっている。

改札口と待合室。

出札口と券売機。

これが1937(昭和12)年築の証拠。

ちょっと寂しい駅前通り。

駅前にあったタイムカプセル。開業80年の1979(昭和54)年に埋められている。もう50年近くになるけど、掘り起こさないのだろうか?

光市の観光案内。岩田はもともとは大和町であったのだが、2004(平成16)年に光市と合併してその一部となった。

こういういつのものが分からない地図好きですね。

駅舎に入ってすぐの足元にあったレリーフ?伊藤博文がこの地で産まれたというから幕末の志士をイメージしたものだろうか。

1番線から下関方面。

同じく広島方面。向かいのホームとは跨線橋で結ばれている。元は相対式1、島式1の2面3線のホームだったが、ご覧の通り、2番線にあたる部分にフェンスが張られ、稼働しているのは1、3番線の2つとなっている。

駅全体を俯瞰するとこんな感じ。

駅名標。

名所案内。伊藤公資料館は行ってみたいですね。シールで隠されている三国志城は文字通り中国の三国時代の資料館なのだが、館長が2015(平成27)亡くなり、そのまま閉館してしまったそうだ。

これは花壇なのかなと思うのだが、

これは何やら分からない。

貨物の引き込み線が残っている。

こちら側からの眺めもいい。ただ、2番線のレールは錆び、草が生えていて寂しげだ。

待合室は2番線があった頃の状態のままだ。
乗る列車が来る前に貨物列車が来たので、ショート動画にしました。
去年の秋に楠邸へお邪魔したときの旅で最終日に予定の列車に乗れず、楠君の出勤に合わせて送ってもらったのがここ岩田駅であった。それ以来、気になっていたのだ。比較的早く訪れることができてよかった。
今回はこんなところで。







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