気ままな旅 その39(大畠駅)
14時06分発の列車に乗る。

次に降りた駅は周防大島が真ん前にある大畠だ。

周防大島と大島大橋。

背後が海というほど近くはないけど、眺めはいい。

やたらとレールが置いてある。交換用のものと思われる。

この乗り換え案内はまだ大島大橋が架かる前、ここ大畠から小松港へ運航されていた国鉄大島航路があった頃のものと思うだが、いかに?それとも、大島大橋が架かって以降、大畠から国鉄バス(のちJRバス)で大島の各地への乗り換え案内なのだろうか?今は防長交通が引き継いでいるけど、この案内板自体は間違いではないからそのまま使っているのだろうか?どちらにせよ、この案内板そのものは国鉄時代からのもののように見える。

小さな花壇?

ホーム上屋にある山口の偉人の看板。これは駅(エリア)によって構成が異なる。

広島方面。上下線の間に中線がある。

下関方面。跨線橋が立派だ。

これはJR以降のものだろう。

1番線から広島方面。ちなみに中線が2番線で、下り線は3番線となる。

同じく下関方面。

1番線にあった乗り換え案内。これは国鉄バスの大島線のことだ。

改札は交通カード対応になっている。駅前の道路は国道188号だ。

出札口と券売機。

みどりの窓口は2005(平成13)年に閉鎖されている。外されずに残っているのが歴史を物語っている。

ここにも入線案内がある。ここは地が黄色い。

開かない出札口にはさまざまなポスターが貼られている。

待合室。奥に見えるへこんだスペースに自販機が並んでいる。多分、そこにキヨスクがあったのだろう。

大畠駅時刻表。

バスのりばへの通路。

大島関連のパンフレットがたくさん。

大畠駅駅舎。駅前はちょっと寂しい。左奥がバスのりばだ。
大畠は1987(明治30)年に山陽鉄道の駅として開業。1906(39)年国有化、1909(明治42)年に山陽本線への名称制定もこの近辺の駅と同じだ。1921(10)年に大島航路が開設されるが、当初は山口県営だった。それが戦後1946(昭和21)年に国鉄の経営となり、1976(昭和51)年に大島大橋が架かるまで運航された。そして、1987(昭和62)年に民営化されて現在に至る。駅は相対式ホーム2つの2面2線の構造となっている。かつては貨物や荷物も扱っていたからそれなりの規模を持っていたと思われる。

大島航路、国鉄バスの末裔の防長交通バス。

いくつか路線があるようだ。

大島とは関係ないけど、5年ほど前の悲しいお知らせ。

国道188号のキロポスト。ここは大畠駅だけど、所在地は柳井市神代なんだ。

15時ちょうどの岩国行き。

私は15時09分発の下関行きで下松に帰る。けっして上の写真の裏ネガではありません。

15時44分に下松に着くと、お昼を食べていなかったので北斗亭へ。

中華そばの中をいただきました。安定の美味しさでした。
で、大畠駅の模様はこんな感じです。これは返す返すも午前に訪れた岩田、戸田、櫛ヶ浜でもやればよかったなと反省している次第であります。
という感じで3日目は終わるのでした。今回はこんなところで。







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