石清尾八幡宮 その3

2022年8月6日

きれいな石段を上って拝殿に出る。

石清尾八幡宮下拝殿・上拝殿・本殿

上ってすぐは拝殿が近すぎるので全景が入るところから。左から下拝殿、上拝殿、本殿となっている。随神門と同じく銅葺きの屋根で風格がある。上拝殿は子どもの七五三のときに入ったことがある。この角度からだと、こんぴらさんに見えなくもないなと。特に拝礼の仕方などは書かれていないので、二礼拍手一礼でお参りをする。

イチョウ

丸坊主で分かりにくいが、御神木のイチョウの木。木を囲っている石には文政6年とあるから、文化文政、11代家斉の時代から神社を見守っていることになる。

絵馬堂

絵馬堂。漁業関係の奉納が多い。

絵馬堂の桜

絵馬堂の欄干の下には桜の木がある。まだ3分咲きといったところか。4月2、3日辺りは満開だったのではないか。

摺鉢谷川

「その1」で随神門の前に橋が架かっていた写真があったと思うが、その流れは北側のこちら側にも続いている。これは堀ではなく、川である。背後にある峰山を源流とする摺鉢谷川といって、紫雲中学校の前を流れ、高松中央卸売市場を経て瀬戸内海へとそそいでいる。

方角石

方角石。思っていた方角とちょっと違っていた。昭和2年…もう95年も前。明治どころか、昭和も遠くなりにけり。

神馬

ここにも神馬。

皇太子御成婚紀念碑

皇太子御成婚紀念碑。横には皇紀2619年と添えられている。皇紀2619年とは昭和34年のことである。つまり、上皇様がご結婚なされたときの記念碑ということになる。昭和15年が皇紀2600年というのは知っていたけど、戦後にもまだ皇紀が使用されていたのには驚かされる。私事になるが、昭和15年は私の父が生まれた年である。

拝殿に向かって右側、神馬の周辺に末社が6社ある。末社なので扁額がなければどれも同じように見える。

神明神社

神明神社、お伊勢さんですね。天照大神、住吉三神、藤原鎌足が祀られている。末社の中ではこれだけ他と屋根の形状が違う。

若宮神社

若宮神社。仁徳天皇が祀られている。仁徳天皇は応神天皇の皇子だから若宮か?

高良神社

高良(こうら)神社。建内宿禰(たけうちのすくね)を祀る。福岡県久留米市の高良大社の末社なのだろうか。京都には高良神社があるので、こちらの末社なのかもしれない。

御先神社

御先神社。天之宇受売命(あめのうずめのみこと)と猿田彦命(さるたひこのかみ)を祀っている。「おんさき」と読むのか、「みさき」と読むのか分からない。岡山県津山市にある高野神社の末社と思われる。ここから近い中野町にも同じ字の神社あり、そこは「おんさき」神社である。

廣瀬龍田五社神社

廣瀬龍田五社神社。級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長津比売命(しなつひめのみこと)、若宇賀能売命(わかうかめのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、大年命(おおとしがみ)を祀る。奈良の廣瀬大社が大元と思われる。

北口霊社

北口霊社(一番手前)。友安刑部霊、友安治部霊が祀られている。友安刑部は高松初代藩主・松平頼重の頃に石清尾八幡宮の宮司を努めていた人のようだ。

神輿舎

神輿舎。秋の例大祭にはここから神輿が出て御旅所まで練り歩く。

社務所

社務所。お札やお守りがたくさん並んでいる。

御札をお受けしましょう

社務所の前に貼ってあった。幟を貼り付けてあるようだ。これを見ると、ここはお伊勢さんに関連した神社なんだなと思う。

高徳線

社務所の裏に回ると高徳線の踏切がある。栗林トンネルを抜けた列車が徳島方面へと走っているところ。この踏切の直後に高架に入る。だから、随神門の橋から見た列車は高架を走っていた。栗林駅付近の高架化は私が小学校に上がる頃に完成しているから、もう50年近く前のことになる。中央通りを横切るから急務だったに違いない。高架化前の踏切には手動で遮断機を操作する踏切警手がいたのを覚えている。ところで、画像左に踏切があることを知らせる標識がある。これは鳥居から左に神社に沿うように道があり、この踏切に続いているのだ。

この他、拝殿の周りには歌碑や句碑があちこちに置かれていた。

拝殿から参道

拝殿から参道を見下ろす。ここからまっすぐ道が東へ延び、御旅所を経て田町商店街へと通ずる。

ここまで書けば、もう終わりだろうと思うかもしれませんが、まだ続きます。