仏生山へ行ってきた その6
これからお成り街道を歩く。
法然寺へと続く街道で、今いるところからの距離は約1キロだ。
前回最後の写真はアオイ堂という和菓子店で、お店の紋は葵の紋を使っている。これは松平家から使用が許されたからだが、そうそうあることではない。
もんぜん町家。誰でも入れるフリースペースだ。ちょっと疲れた時など休憩できる場所があるのは嬉しい。
古い建物が数多く残っている。
今は高松信用金庫となっているこの場所は香川座という芝居小屋があった。はじめは歌舞伎、のちに映画館となった。驚くのは昭和40年代まで営業していたということだ。ほんの50年ほど前のことで、私が産まれた頃はまだあったのかなと思ったりする。
きれいな白壁が現れる。この辺りでは一番大きな円光寺だ。朝日を受けていっそう白い。
本堂も松の木も立派だ。振り返ると鐘楼がある。1565年(永禄8年)の創建というから歴史は古く、この地に移ったのは江戸時代になってからだ。元禄時代に火災が起きたときには境内に植わるイチョウが水を吹き、ご本尊を守ったという言い伝えが残っている。
その向かいにはこれも江戸時代からありそうな天満屋呉服店。漆喰に黒と白に塗られた壁が重厚感を漂わせている。商家らしく「うだち」も見られる。
生目八幡宮。名前の通り、目の神さまだ。源平合戦で敗れたのち、失明して琵琶法師となった悪七兵衛景清が亡くなる際に自分を目の神として祀れば眼病に効果があるだろうと言ったことで、目の神様として信仰されている。
レンガ造りの吉の酢。
こちらは創業時のものと思われる店舗。創業は1789年(天明9年)というから200年以上になる。神崎屋の屋号が見える。工場内は見学可能ということだけど、土日祝日はお休みだ。
水神さん。参拝客の喉を潤すためにこの辺には数多くの井戸があった。ここには町年寄の屋敷があり、その家が井戸を掘って水神様を祀って屋敷の神にしたという。
飲食店も何店かある。ここは「歩歩」という居酒屋。これは「ぼちぼち」と読む。
フランス料理が楽しめる、「仏生山フレンチ THE GLAD」。フランス料理というよりは和食が出てきそうな店構えだ。
なんとなく周りに溶け込もうとしているような建物の仏生山コミュニティーセンター。
コミュニティーセンターの横の道を入ると高徳寺に至る。本堂は先ほどの円光寺同様堂々としている。他にも山門はもちろん、手水舎や鐘楼、扁額に「俱会一処(くえいっしょ)」と書かれた永代供養?のお堂がある。この「俱会一処」とは亡くなって極楽浄土へ行けば、仏や菩薩と一処に出会うことができるという意味で、非常にありがたいことである。
その近くには観音寺(かんのんじ)がある。小ぢんまりしたかわいらしいお寺だ。讃岐霊場四十五番とある。これは讃岐一国八十八箇所の四十五番ということだ。卒塔婆が見える。
民家のような正原寺(しょうげんじ)。鐘が吊るしてあるから、ここがお寺であることが分かる、というくらいお寺感がない。ここまでの3カ寺は街道の西側にあったけど、このお寺は東側にある。
その近くに目病地蔵尊がある。先ほどの生目八幡宮と何か関係はあるのだろうか?
街道に戻る。仏生山派出所と消防の仏生山分団。立札によると、この辺は昔、百相(もまい)という地名だったことを知る。仏生山の小字で、今や知る人はお年寄りくらいなのではないか。
向かいには郵便局。昔ながらの建物で周りに馴染んでいる。
立派な造りの商家が並ぶ。これだけの建物が軒を連ねるさまを見ると、いかに仏生山が繫栄していたかが分かる。
屋根の破風に取り付けられた懸魚(げぎょ)。社寺建築に見られる装飾だ。先ほどのうだちもそうだけど、こういう細かい装飾を見るのも楽しい。
今はタバコやジュースの自販機しかないけど、かつては商いをしていたのだろう。ここまで見てきた店のほとんどは今は何もやってなさそうだけど、在りし日の姿を見てみたいものだ。
長々と書いてきましたが、ここで一旦、切ります。今回はこんなところで。
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