仏生山へ行ってきた その9
つづいて法然寺へ向かう。榺神社からは目と鼻の先だ。
法然寺は1207年(建永2年)に法然が満濃で住んでいた小松庄正福寺を江戸時代になり、生駒家に代わって高松に入封した初代松平頼重公がこの地に移し、松平家の菩提寺とした。以来、仏生山来迎院法然寺と称することとなった。
まず、境内に入る前に小さなお堂がある。
見返地蔵堂という。祀られているのは地蔵菩薩でこれからくぐる総門から振り返って見る形になるので、このような名前がある。
法然寺の入り口、総門。かつてはこの他に番所、接待屋、裏門などがあった。
総門を入ってすぐにある十王堂。閻魔王を中心に十王が並ぶ。死後、犯した罪を裁く王で七日参り、百箇日、一周忌、三周忌にそれぞれ裁きを受けるのだという。中央に座る閻魔王など小さい頃に見たときは怖かった。
十王堂の横に三界萬霊と書かれた石柱がある。ここには昔、榺神社にあったような人形供養のためのお堂があったのだが、どうなったのだろう。榺神社に移転したのだろうか。
以前はこの道しかなく、歩きも自転車も車もみんなここを通っていた。でも、30年くらい前だろうか、左手に車用の道を作ってくれたので、お互い安心して通ることができるようになった。これはただの参道ではなく、この世からあの世へ、極楽浄土への道とされ、今は仏生山小学校になっている右側の池は怒りや憎しみを表す水の河、左の池は貪る心を表す火の河にたとえ、これらを恐れずこの道を渡れば、極楽浄土にたどり着けるという二河白道(にかびゃくどう)の教えを表しているという。
黒門。これをくぐると極楽浄土だ。
黒門を通ると広庭に出る。仁王門、五重塔、三仏堂が見える。駅を降りてここまで来るのに2時間半もかかっている。いくら何でも時間がかかりすぎだろう。予定では1時間程度で着くはずだったのだが…。で、つい正面にある仁王門から入りがちだけど、右に折れて奥にある本堂門から入るのが順路だ。
本堂門。
入ってすぐ左にあるのは弘法大師堂。休憩所のようなもので、中に弘法大師が祀られている。でも、引き戸が途中までしか開かなかったのか、開けられなかったのか入ることはできなかった。
寺務所の前の松は藩主お手植えの松だ。パンフレットは寺務所へ行けばもらえる。今回は中に入らず、外観だけを見て回る。
霊宝館、宝物館だ。
書院。お寺なので、酒肉はもちろんのこと辛味や臭いの強い野菜(五辛)も許されない。
力強い龍の彫刻。
法然寺本堂。威風堂々としている。1907年(明治40年)に再建され、中には法然上人が彫ったとされる阿弥陀如来像が安置されている。他にも親鸞聖人や善導大師などの像がある。ちなみに左に見えるのは水子地蔵だ。
厨子が並ぶ。でも、どれが誰やら分からない。
頭上には鳳凰や
龍が彫られている。
渡り廊下で祖師堂、さらには三仏堂とつながっている。
忠学上人堂。第八世住職で、安産祈願のお堂としてお産で苦しむ女性を救うという。
手前右におわすのが忠学上人と思われる。
卒塔婆が立つ。圓光大師六五十回忌とある。圓光大師とは天皇より賜った法然の諡号、おくり名だ。
三仏堂。ここに讃岐の寝釈迦が祀られている。
奥に阿弥陀如来(中央)、釈迦如来(右)、弥勒菩薩(左)を配し、これを本尊とすることからこの名がある。その手前に釈迦如来涅槃像が大きく横たわっていて、周りには釈迦の死を嘆き悲しむ弟子たちや動物が安置されている。これは涅槃図を立体的に表現されている大変珍しいものである。
ここには龍、虎、獅子の彫刻が施されている。
すみません、法然寺が1回で終わりませんでした。次回は法然寺の後半戦です。
今回はこんなところで。
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