四国小回り その24

久々の投稿です。

1000系と7200系

14時46分、多度津に到着した普通列車から降りる。1時間10分ほどの乗車だった。次に乗るのは15時08分発の高松行き普通列車だ。直前に15時02分発快速「サンポート南風リレー号」があるけど、今回は各駅停車に乗ることにしているのでやり過ごす。20分ほどあるのでいろいろ撮って回る。4番線に停車しているのは快速「サンポート南風リレー号」観音寺行きだ。快速とはいっても高松-坂出間だけでそれ以西は各駅停車になる。

8600系

側線で停まっている8600系2両編成。

岡山発着の特急「しおかぜ」と高松発着の特急「いしづち」は宇多津で併合分割を行っている。でも、盆暮れゴールデンウィークなどの多客期はこれを行わずに特急「しおかぜ」を7両ないし8両のフル編成で岡山を発着させている。これによって高松-宇多津間の特急利用客があぶれてしまうので高松-多度津間のみを走る「いしづち」を走らせて多度津で乗り換えてもらうという措置が取られている。高松からの乗客は乗り換えを余儀なくされる上に、自由席の利用者だと席の確保もままならないということになるけど、このときばかりは本州からの太いパイプを優先せざるを得ない。この措置は土讃線の特急「南風」、「しまんと」の一部でも行われれている。

名所案内

名所案内。どこも歩いて行けそうだけど、こんなに近かったかなという距離が記されている。

南風13号

特急「南風13号」高知行き。2700系の5両編成だ。

DE10と7200系

7200系とDE10。線路が複雑に入り組んでいるのは昔のままだ。

快速サンポート南風リレー号

これが冒頭で書いた15時02分発の快速「サンポート南風リレー号」だ。

改札口

改札口。

待合室

待合室。

ふるさと特産品

今となっては貴重な特産品コーナー。こういうのが残る駅も少なくなった。

多度津駅

多度津駅。「その23」で紹介した通り、多度津もまた最初に開業した駅のひとつだ。ただ、開業当時の駅はJR多度津工場の先にあった浜多度津という貨物駅の場所にあった。これは本州からの航路があった多度津港が近かったこともある。だから、開業時はスイッチバックだった。そして、1913年(大正2年)に観音寺へ路線が延びたときに現在の位置になった。多度津は予讃線、土讃線が分岐し、かつ車両工場を持つ四国鉄道の要衝であり、側線も多く構内も広い。島式ホーム2つの2面4線ののりばを持ち、様々な列車が行き交う。旅客列車だけではなく、たまに貨物列車もやってくるので、他の路線と比べて変化があって面白い。

蒸気機関車の8600形が急静態保存されているのだけど、以前は駅を出てすぐ右側にあったのが今では少し東に移動しているので、撮りに行かなかった。

四国鉄道発祥之地

駅前にある蒸気機関車の動輪。

四国鉄道発祥の地解説版

四国鉄道発祥の地の解説板。

少林寺拳法発祥のまち

あまり知られていないけど、多度津は少林寺拳法発祥の地だ。その碑と解説板が立っている。私が通っていた大学は善通寺にあるけど、少林寺拳法部があった。

給水塔

使用はされていないけど、駅舎の横に今も残る給水塔。これは国の登録有形文化財に登録されている。

最近までこの脇に駅を跨ぐ歩道橋があったのだけど、廃棄されてしまった。それまで駅前通りを北へ100~150メートルほどのところにあった町役場が駅の南東に移転した際に自由通路ができたためだ。自由通路は以前の歩道橋とだいたい同じくらいの距離、駅のそばにあり、屋根も付いたので便利になった。上の駅舎の画像でいうと左上に駅の奥へ延びているのがそうだ。新しい役場はかつて貨物車両がたくさん並んでいた側線のあった場所で、その分、駅が狭くなった。ただ、駅前から見える位置にあった役場が今度は階段を昇り降りして駅を横切って行くことになった。はたして近くなったのか、遠くなったのか。

古い歩道橋

ちなみにこれが在りし日の歩道橋。ここから撮影をしたこともあった。右端にほんのちょっとだけ給水塔が写っている。

多度津町のマンホールの蓋

マンホールの蓋には桜があしらわれている。これは多度津町の町花と町木が桜というのに由来する。

7200系

これが今から乗る高松行き普通列車。7200系の2両編成だ。

いよいよラストスパートだ。今回はこんなところで。