広島日帰り その6
ようやく呉線に入る。13時50分、海田市発。かつてここから陸軍の被服支廠(ししょう)海田市倉庫への専用線が延びていた。今は駐輪場や道路に転用されて見る影はほとんどないという。
山陽本線と分かれる。
瀬野川を渡る。河口なので川幅も広い。山陽本線からはこの様子は見られない。
右手にはもう1本レールが敷けるようなスペースがある。
今度はコンクリートの橋台が現れる。これらは旧線の跡かと思ったら戦時中に計画され、近年まで検討がなされていた呉までの複線化のためのものであった。戦前は軍都・呉があり、軍人や物資を大量に輸送するためには複線化が望ましいということだったのだろう。広島には軍用線の宇品線もあったから、それとの絡みもあったのかもしれない。戦後も優等列車が多く走った路線ゆえに構想は引き継がれたのだろう。このあともそれらしい敷地が続いていた。
坂の手前で総頭川(そうずがわ)の河口に出る。
坂で広島行き普通列車と交換する。
車内の様子。ご覧の通り、海側のシートには1人は必ず窓際にいたので、座って撮ることができなかった。
いよいよ海に沿う。右が金輪島、左奥が似島。
ベイサイドビーチ坂…海水浴場なので閑散としている。
水尻では4分停車して上りの快速「安芸路ライナー」が来るのを待つ。ホームは島式でけっこう狭い。水尻は1999(平成11)年に開業した新しい駅だ。これは広島-呉間の複線化を要望する地元に対して費用が抑えられる交換設備のある駅の新設で応えたとされる。右を走るのは国道31号。海田市から呉までの国道で、ほぼ呉線に沿っている。
あちらは水尻を通過していく。
水尻を出て高規格道路である広島呉道路をくぐる。
次の小屋浦を出てあらためて海に沿う。奥に見えるのは海軍兵学校があった江田島。
何やら大きな施設が見えてきた。
呉ポートピアに着く。1992(平成4)年に呉ポートピアランドという遊園地が開園した際に誕生した駅だ。でも、1998(平成10)年に経営破綻。駅の存続が危ぶまれたが、2000(平成12)年に第三セクターの市民公園・呉ポートピアパークに生まれ変わり、また沿線利用者も多いことから駅名は開園当初から呉ポートピアなので変わっていない。公園へは歩道橋で直結している。
天応を過ぎ、少し高いところを走る。だから、江田島がよく見える。
この辺りは1970(昭和45)年の電化に際して路線の付け替えをした区間になる。だから、ところどころそれっぽい路盤の跡が見える。トンネル跡と思われるけど、草木に覆われてはっきりとしない。
これも怪しい。
かるが浜のホームから見た瀬戸内海。見晴らしがいい。
左に見えるのは狩留賀海浜公園。かるが浜はもともと海水浴場の開場期間に設置された臨時停車場がルーツで、一度廃止されたものの、1999(平成11)年に今度は駅として復活を果たしている。
かるが浜を出て沿うのは明らかに旧線の跡。
吉浦の手前には橋台が残る。少しおいて右に見えるパイプを乗せている鉄橋は旧海軍軍需部の貨物専用線跡。
古めかしいホーム上屋が現れた。側線も見える。
吉浦に着く。ここで下り列車との交換のため4分停車するので改札を出てみる。右にはかつて貨物を扱っていたスペースが残り、昔ながらの駅であることが分かる。
1903(明治36)年に海田市から呉まで最初に開通したときに開業しているから呉線では最古参の駅のひとつになる。
中は広く、天井も高い。2年前に無人化されて、窓口は塞がれている。
広い待合室の一角にキヨスクがあったことをうかがわせる跡が残る。
駅前には商店街。昔の駅前をどこもこんな感じだった。一瞬、阿波池田の駅前かと思った。清酒のネオンサインが趣きがあっていい。
駅前の植え込み。ソテツの周りには正月らしく葉ボタンが植えられている。ちょっとピンボケ。ごめんなさい。
さらにひどいブレブレの写真ですが、これが待っていた広発広島行きの快速「安芸路ライナー」。14時22分発。
吉浦を出ると再び鉄橋跡が見られる。でも、これは調べてみたけど、分からなかった。吉浦駅の側線がここまで延びていたのだろうか?
このあと、だんだん海は遠ざかり、二河川(にこうがわ)を渡って、
終点呉に着いた。ここでしばし休憩を取る。
今回はこんなところで。
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