下松発下松行き その3

7時20分、定刻に発車する。

山陽本線と分岐

櫛ヶ浜の長いホームを抜けると左にカーブして山陽本線と分かれる。こうしてみると構内はけっこう広い。

山陽本線と分岐

岩徳線に乗るのは何年ぶりだろう。楠君が山口の大学へ進学して以来、これまでに何度も山口を訪れているけど、岩徳線となると1999(平成11)年の拙作「夏は名のみのしのぎやすさよ」以来であることが分かった。なんと四半世紀も前のことになる。おそらくそのときが2度目の乗車で、今回が3回目と思われる。そりゃ、歳も取りますわ。

キハ40系

乗ったのはキハ40の2両編成だ。キハ40なのは昼間は1両で運行するのに都合がいいからだろう。ちなみに乗ったのは右側の列車。

岩徳線はその名の通り、岩国と徳山を結ぶ路線だ。旧山陽道に沿って敷かれており、かつての宿場町を通っている。開業は比較的新しく、1929(昭和4)年開業の麻里布(現・岩国駅)-岩国(現・西岩国)間の岩徳東線と1932(昭和7)年開業の櫛ヶ浜-周防花岡間の岩徳西線の東西双方から建設が始まった。そして、1934(昭和9)年に全線開通。同時に山陽本線に編入された。そういう目的で建設された経緯もあり、駅のホームの有効長が長い。櫛ヶ浜の岩徳線ホームからして長かった。柳井経由の従来路線は柳井線を名乗った。

しかし、山陽本線の複線化の話が持ち上がった際、この区間は勾配やカーブが多いことから柳井線のほうを複線化することになり、1944(昭和19)年に柳井線が山陽本線に戻った。で、岩国(麻里布から改称)-櫛ヶ浜間を岩徳線とした。以来、現在に至るまで地域輸送に専念している。

末武川

末武川を渡る。この川をたどると楠君の家の近くまで行くことができる。もう1ヶ月早かったら桜がきれいだっただろう。

山陽新幹線

左から山陽新幹線がやってくる。岩徳線は新幹線とほぼ並走している。が、意外にもその姿が見えるのはここだけだ。山陽新幹線がこのルートが取ったのは岩徳線が山陽本線になったのと同じだ。でも、その岩徳線は本線から外される理由となった勾配を登り始める。

周防花岡駅

最初の駅の周防花岡に着く。岩徳西線で最初に開業した区間の終着駅だ。

周防花岡駅名標

駅名標。

廃ホームと新幹線

以前は列車交換ができた駅だけど、今はホームだけが残り、レールが外されている。ホームにはツツジが植えられており、もう少しすると満開になるだろう。その向こうに新幹線の高架がそびえる。

ホームは続く

発車しても廃ホームが続く。

ホームに物置

物置やプレハブ?まで置かれている。

ホームの端

ここがホームの端。右に分かれるレールは安全側線か?このホームの長さこそ岩徳線が本線であったことを示す名残りだ。

岩徳線の沿革を書いたこともあって紙幅?を費やしてしまった。今回はこんなところで。