二番丁公園の桜
数日前のことになるけど、3月27日の日曜日。この日は朝からいろいろとネタになるところへ行ってきた。そのために動いたわけではないのだが、結果的にそうなった。
順番が前後するけど、ここへ来る前に八幡さん…石清尾八幡宮へ行ってきた。それは後日書くとして、その帰り道に高松工芸高校の西側の道を通った。その道を挟んだ西側、新番丁小学校の南側に二番丁公園がある。蒸気機関車の静態保存をしていることで知ってる人は知っている公園だ。公園に差し掛かると、
ご覧の通り、桜がほぼ満開であった。ソメイヨシノとしては早いほうだろう。この近くに他にも公園があるけど、そこはまだまだであった。なので、八幡さんへ行ったことよりも先に書きました。
黒い機関車にピンクの桜がよく映える。こんな感じだから、この時期の週末ともなると近所の家族連れがシートを広げて花見をする姿が見られる。栗林公園や玉藻公園は花見客でごった返すし、変に気を遣うだろうからこういうところでやるほうがいい。
逆サイドから。機関車はC58です。
C58の諸元。こうしてみると転属はあまりしていない。31年の車齢のうち、最後の高知には25年在籍している。この公園には小さい頃に来たことがある。記憶では運転席やら後ろの炭水車には出入り自由だったような気がするのだけど、今はフェンスが付けられて入ることができない。
公園の真ん中あたりに鎮座するのは今の高松の基礎を築いた生駒親正である。豊臣秀吉の家臣であり、秀吉を支えた五大老、五奉行の下、三中老の一人に列せられている。だから、豊臣政権の幹部だ。秀吉の全国統一後は讃岐一国を任せられ、関ケ原の合戦のあと、徳川の世となっても引き続き讃岐を治めた。高松城や丸亀城を築き、香東川を今の流路に変えたのは親正によるものだ。
のちに生駒騒動と呼ばれるお家騒動が起き、出羽の矢島藩に転封された。ここで讃岐は高松藩と丸亀藩に分かれて、高松藩に水戸徳川から松平頼重がに入封する。外様からいきなり親藩が入ったのは西国の監視という役目があったといわれる。
高松城や丸亀城の話は何れということで気長に待っていてください。今日はこの辺で。
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