敦賀へ行ってきた その2
次に乗るのは6時14分発の姫路行きに乗る。
115系の4両編成だ。
この列車は福山始発なのではじめから席はある程度埋まっている。幸い窓際の席が取れた。
時間が来て発車すると、すぐ旭川を渡る。左岸の向こうに小さく岡山城が見える。この直後、百間川も渡るけど、高い壁で見えなかった。
高島を出ると寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」とすれ違う。乗りたい。
東岡山では赤穂線の岡山行きが出て行くところだった。
ここで赤穂線と分岐する。
上道を出ると新幹線と分かれて北へ向かう。今日も暑くなりそうだ。
立派な跨線橋になった瀬戸。まるで橋上駅舎のようだ。
瀬戸を過ぎ、山の間を縫うように走る。次の万富はキリンビールの岡山工場があるのだけど、上り貨物列車がいて撮れなかった。さらに下り貨物も通過しているところだった。ビール工場は奥の木の向こうだ。
吉井川を渡る。いつもながら岡山には大きな川がいくつもあって羨ましい。
熊山には明治大正期の跨線橋が残る。老朽化という問題はあるけど、いつまでも残してほしい。高校の時からこの駅を通る度に日本史で習った熊山蕃山を連想してしまう。もともと熊山町の中心だったからこの駅名なわけで、蕃山はこの地区の出ではないし、ゆかりのある岡山藩校の閑谷学校も備前市にあり、ここからは遠い。
しばらく吉井に川に沿って和気に着く。ここもホーム上屋や跨線橋など古い設備が残っているのが嬉しい。写真の看板は「片鉄ロマン街道」と書いてある。同和鉱業片上鉄道かつて港町の片上からここ和気を経て吉井川に沿う形で柵原(やなはら)を結んでいた。柵原鉱山から採れる鉱石の輸送がメインで、気動車や客車列車による旅客列車も走っていた。学生時代の1991(平成3)年に廃止される際、一度だけ乗りに行った。今は廃線跡を利用した自転車道に整備され、吉ヶ原駅付近では公園が造られて、動態保存の車両を使用した展示運転が行われていたけど、コロナ以降休止が続いている。
吉井川の支流の金剛川を渡る。風が弱いので比較的きれいに山が映っている。
だんだん雲が切れて晴れてきた。田植えの直後か、整然と並んだ苗の背が低い。奥の山は向山(むこうやま)だろうか。
レールがたくさん現れて吉永に着く。目を引いたのはこの看板。「おっさん どこなら 八塔寺」と書いている。駅の近くを八塔寺川が流れ、その上流に八塔寺山があり、八塔寺という地名もあり、同名のお寺もある。この辺に伝わる歌の歌詞のようだ。
右側に座っていて撮れていないけど、左手に煙突群が見えてきて三石に着く。周囲を山に囲まれている岡山県最後の駅だ。煙突は耐火煉瓦を作る会社のものだ。
そこへ貨物列車がやってきた。
三石を出ると間もなく長い船坂トンネルを抜けて兵庫県へと入る。峠を越えたばかりで高いところを走っているのが分かる。
さらに山間の狭い平地を縫うように走り、下り線が離れ、その間に高架線が下りてきた。智頭急行だ。
そうして7時07分、上郡に着いた。ここで降りる。
今回はこんなところで。
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