敦賀へ行ってきた その36
では、まずは赤穂城方面へ行くとしよう。
駅前から赤穂城へ延びるお城通り。右に見えるのは赤穂郵便局。駅からお城へは1.5キロの道のり。歩いて20分といったところだろうか。でも、まっすぐは行かない。
道中どこかで朝食を摂りたいのだけど、朝の10時でやっているのは喫茶店くらいだ。洋食なら即喫茶店だけど、私のお腹がなぜか蕎麦になっているので、店が開くまでもう少し待たねばならないようだ。11時開店という店が多いだろうから、それまで散策しようと思う。
旧上水道。赤穂では江戸時代の早い時期から赤穂の街に上水道が整備されていて、しかもそれが1944(昭和19)年まで約320年間も使われていたというから驚きだ。
この交差点からさらに進んで加里屋の交差点で「いきつぎ広場」という休憩所のような場所に出る。
「いきつぎ」ってなんだ?と思ったらこれも赤穂浪士に関係のあるものだった。江戸城松の廊下で赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が高家筆頭・吉良上野介義央を切り付けるという藩の一大事を知らせるため2人の藩士が早駕籠に乗って4日半で城下に到着した。そのとき、赤穂城に入る前にここの井戸の水を飲んで息を整えたというのがその由来となっている。
いきつぎ井戸。
からくり時計「義士あんどん」。大石が「昼あんどん」と呼ばれていたからこう名付けられているのだろうか。9~20時までの毎正時に何やらあるらしい。浅野家の「糸輪に斑入り違い鷹の羽」の紋と大石家の「右二つ巴の陣太鼓」の紋が並ぶ黒い扉?から何か出てきそう。その上の文字盤のところもあやしい。錦絵の人物は大星由良之助で、これは「仮名手本忠臣蔵」やそれを元に上演された歌舞伎や浄瑠璃に登場する人物だ。実在する名前にすればたちまち幕府から発禁処分のお咎めを受けるだろうから、それを避けるための対策だ。
再びお城通り。この道をまっすぐ行くと赤穂城だ。白壁の蔵をイメージしたような街並み。
でも、大通りを外れると昔ながらの建物がわずかながら残っている。
次に行ったのが花岳寺(かがくじ)。曹洞宗のお寺で赤穂藩主であった浅野家、永井家、森家の菩提寺であり、義士の墓もある。写真は山門。
石柱。義士の木像もある。
山号は台雲山。幕には浅野家の「糸輪に斑入り違い鷹の羽」の紋が入っている。
鳴らずの鐘。赤穂義士が仇討ちを果たし自刃したとの報を受けた赤穂の人々は、その死を悲しみ、この鐘を延々と打ち鳴らしたという。それで50年間音韻を失するとか再改鋳したとか梵鐘に記されている。これが鳴らずの鐘の由来となっている。また、こうした義士との深い由緒により、戦時中の鐘の供出は免れている。
本堂。天井には「竹に虎」の絵が掲げられている。入ってみたかったけど、法要をやっていたようなので外観だけ撮りました。
2代目「大石なごりの松」
本堂の隣には浅野家霊廟や義士の墓所などがあるエリアだけど、別途拝観料が必要だったので入らなかった。
座禅堂。
報恩堂。
報恩堂の中にある千躰観音像。これは1892(明治25)年に起こった赤穂大水害で犠牲になった人を供養するために町の有志が奉納したものだ。
休憩所にあった初代「大石なごりの松」。これは大石が浅野家お取り潰しで赤穂を去ることになった際に振り返ってこの松を見たという逸話が残っていることから名づけられた。
花岳寺を出て、赤穂城方面へ向かう。
花岳寺から赤穂城へかけての道はお成り通りという。江戸時代から残る建物が見られる。
商家や蔵が残っているのが嬉しい。
この突き当りまで来ると赤穂城に出る。これは北横矢枡形跡。前回はこちら側は通っていないので初めて見る。
で、外堀に沿って大手門方面へ回る。
三之丸大手隅櫓と櫓門。
いよいよ赤穂城といきたいところだけど、ここで食事を摂る。今回はこんなところで。
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