むろととうずしお その3(旧小松島線を歩く)

中田駅駅名標

11時46分、中田に着いた。徳島からわずか15分だ。

小松島線路線図

なんでここで降りたのか。これは私がリアルタイムで買った最古の時刻表で、交際出版社(現交通新聞社)の大時刻表1984(昭和59)年7月号の巻頭地図だ。まだ、阿波富田も文化の森もない。代わりに小松島線がある。廃止は1985(昭和60)年3月改正のときだから、なくなる8か月前のものだ。その小松島線の廃線跡を歩こうと思う。楠君にはナイショだったので非常に驚き、喜んでいた。

小松島線は1913(大正2)年に徳島-小松島間に小松島軽便線として開業。1916(大正5)年に阿南鉄道の中田-羽ノ浦間が開業するにあたって、分岐駅として中田駅が開業した。1917(大正6)年に国有化、1922(大正11)年に小松島線となる。1940(昭和15)年には小松島駅構内に小松島港仮乗降場が設置され、本州との航路の接続が改善される。1961(昭和36)年にはそれまで徳島-小松島間だった小松島線が、徳島-中田間を牟岐線に編入されることになったので、残った中田-小松島間が小松島線となり、1.9キロ、小松島港を含めても2.2キロのミニ路線となった。

それでも本州連絡の必要性は変わらず、1962(昭和37)年に高知-阿波池田-小松島港間の準急「阿佐」が登場。のちに急行「よしの川」となりつつ、高知発着、阿波池田発着と合わせて最大7往復という時代もあった。1968(昭和43)年9月までは小松島港まで急行運転を行っていたが、以降は徳島から快速となる。最後は阿波池田発着のみとなるも小松島線廃止時でも6往復もの「よしの川」が走っていた。小松島線廃止時の1985(昭和60)年のダイヤ改正で「よしの川」は一気に2往復まで削減されることからも小松島線の重要性が分かるだろう。ホント、いい時代だったなと思う。その頃は鉄道模型はやっていたけど、やっと時刻表に目覚めたくらいで実にもったいなかったなと今なお悔やんでいる。

小松島線時刻表

で、これが当時の時刻表の一部。阿波池田からの急行「よしの川」が小松島線に足を伸ばしているのが分かる。ここに写っているのを見ると、「よしの川4号」なら徳島からでも急行のままでいいのにと思うほどだ。

牟岐方面

牟岐方面。フェンスの向こうもレールがあったように見える。もしくはフェンスの辺りにホームがあって、左のレールから小松島線が出ていたのかもしれない。

徳島方面

徳島方面。この右側のスペースは上の写真のフェンスの向こう側にあたる。こうしてみると、それなりの広さを持っていたことが分かる。

中田駅駅舎

駅舎。昔は地蔵橋のような木造駅舎だったようだ。昨今のバスの待合室然とした簡易駅舎?を少しおおきくしたような駅舎だ。これを駅舎と呼んでいいのかどうか。

駅前のタバコ屋

元分岐駅だけに駅前は広い。昔からあると思われるタバコ屋さん。他に看板だけだったけど、日峯(ひのみね)タクシーが近くにあるようだ。昔は駅前にあったのかもしれない。日峯とは近くにある日峯山にちなんだ名前と思われる。

旧小松島線跡

では、廃線跡を歩くとしよう。道が2本に分かれているけど、この2本はそう長くない100メートル程度先で合流する。

旧小松島線跡

牟岐線は右の建物の向こう側にある。

中田駅より400M

もう4分の1歩いてきた。このように距離を示したものはこれだけだった。他にもあったのに見つけられなかっただけだろうか。

旧小松島線跡

遊歩道が分かれているのは歩道と自転車道のようだ。

旧小松島線跡

踏切の遺構は見られなかった。

旧小松島線跡

今日は天気がよくて気持ちがいい。とても1月とは思えない陽気だ。

旧小松島線跡

県道120号を越えた、この右手にはスーパーやドラッグストアが並ぶ。

中継信号機

何もないなと思っていたら、突然中継信号が現れた。こういうのを残してくれるのは、ここを列車が走っていたというなによりの証なので嬉しい限りだ。右手にはかつて東洋紡績の工場があった。

想い出の記

県道33号の交差点に出ると、小松島線の沿革や当時の地図の載った解説板があった。

徳島赤十字病院

そこには徳島赤十字病院がある。そして、さらに行ったところに小松島ステーションパークがある。

SLのミュメント

SLのモニュメントがある。小松島には機関区があり、SLが多数在籍していたので、それをイメージしたのだろう。

小松島ステーションパーク

ここからはもう小松島駅の構内になり、この辺は小松島機関区にあたる。ちなみに小松島港駅も小松島駅の構内扱いであった。それは我が高松駅と髙松桟橋駅との関係と同じと思われる。

SLと客車

そこにあったのはSLと客車の編成だった。C12の280号機とオハフ50だ。オハフ50はオリジナルのワインレッドがよかったなぁ。

SLと客車

残念ながらどちらも車内に入ることはできなかった。

駅舎を模した上屋

当時のものかどうかは分からないけど、それっぽい上屋。駅名の額は当時のものっぽい。

モニュメント

公園のあちこちに鉄道をイメージした遊具やモニュメントが並んでいる。

遊具も鉄道

なるべく写さないようにしたので、ほとんど姿が見えないが、多くの家族連れで賑わっていた。

金長たぬきの像

徳島と言えば、金長たぬき。その巨大な像があった。

旧小松島線跡

廃線跡はまだ続く。

この辺に小松島駅?

ステーションパークに入るところにあったモニュメントがここにもある。県道178号と交わるこの辺りに小松島駅があったようだ。

しおかぜ公園

このしおかぜ公園には引き込み線があった。

与謝野鉄幹・晶子歌碑

サウンドハウスホールの前に立つ与謝野鉄幹、晶子夫妻の歌碑。夫妻は四国初めて訪れた際、小松島から上陸したという。

海に出た

そして、ようやく海に出た。四国と紀伊半島の間にある紀伊水道だ。

紀伊水道

うっすらと和歌山県が見える。青い海、青い空…夏じゃないです。

紀伊水道

この角度だと正面に小松島航空基地が見える。

向こうは小松島港

左の白い建物の向こうに小松島港駅があり、南海フェリーや関西汽船の船と接続していた。

このくらいの距離の廃線歩きならお手ごろだ。もう少し時間があれば、小松島港駅も巡ってみたかったけど、これでも時間オーバー気味だった。

そろそろ次に乗る列車の時間もあることなので、先を急ごう。中田に戻りたいところだけど、南小松島へショートカットする。中田-南小松島間を乗り残すことになるけど、それはまた今度。今回はこんなところで。