むろととうずしお その6(阿南から阿波海南まで)

では、先へ進もう。

1500形

阿波海南行きは阿南で8分の停車ののち、15時24分に出る。

桑野駅

桑野駅。特急も停車し、折り返し列車も設定されているくらいの主要駅だ。春になれば、右の桜がきれいに咲くのだろう。

田起こしが始まる

沿線はきれいに田起こしをした田畑が続く。

新野駅

次は新野。ここも特急が停まる。でも、島式1面2線だったホームは駅舎側のレールが外されて棒線駅になっている。

阿波福井駅

続いて阿波福井。ホーム上屋の形状からも分かるようにこの駅も元は島式だった。で、前の新野も桑野もそうだけど、駅舎とホームの間にはもう1本レールがあったようで、それが荷物、貨物用の線路だったと思われる。牟岐線は棒線駅以外ではこの構造が基本なのだろう。この写真は去り際に撮ったものだけど、入線時の写真もあって、見比べてみるとこの3駅はほぼ同じような構図だった。

のりば案内

由岐で見つけたのりば案内。いかにも国鉄的だ。ここで4分ほど停車して徳島行き普通列車と交換する。反対側に立派な駅舎があり、コミュニティ施設が入っている。

田井の浜

突然海に出る。田井の浜だ。

田井の浜

「室戸阿南海岸国定公園 田井の浜」の看板が見える。臨時駅の田井の浜駅は捉えることができなかった。

安芸阿南自動車道

木岐に停まる。右手に安芸阿南自動車道のうちの日和佐道路の高架。黄色と青のラインはそれぞれ海抜10メートル、15メートルを示している。南海トラフ地震が起これば、この辺の津波の最大の高さは4~5メートルという予想だから一目散に逃げるしかない。紀伊水道で水路が狭くなっているから押し寄せる波も高くなるのだろう。

日和佐駅

右手に薬王寺を見ながら日和佐に着く。薬王寺は動画で撮れていたけど、逆光すぎてお見せできるものではなかった。正月には近くの薬王寺への初詣客や厄年の人で大いに賑わう。そのため特急「やくおうじ」が正月3ヶ日に徳島-日和佐間で運行される。そういう駅だからか、2面3線の構造になっている。でも、向こうの3番線は今は使われていないようだ。さらに奥に見えるのは駅舎ではなく「道の駅日和佐」で、産直館、物産館がある。本来の駅舎は東側にあり、構内踏切や上にある跨線橋で行き来できる。前回、日和佐に来たときは私の本厄のときで10年以上前のことだ。薬王寺へお参りが目的だったこともあり、道の駅側から出入りしたので、薬王寺とは逆サイドになる駅舎を見ていない。

日和佐を出るとけっこう高いところを走っている。杉林を貫くかのようだ。右手は下のほうに国道55号が走っている。こんな感じで牟岐線は海沿いを通っているように見えて、実はほとんど海に沿っていない。牟岐までは戦中の開通なので、国防上の理由もあるのだろう。

山河内駅駅名標

その杉林を抜けると山河内(やまかわち)に着く。今でこそ棒線駅だけど、かつては2面3線ののりばに貨物ホームも持つそれなりの駅だった。このホームが島式、向こうのスペースに島式のもう片方のレール、加えて相対ホームとそのレールがあった。駅舎は一段低いところにあったけど、ホーム以外はすべて撤去されている。公衆電話や自転車置き場はあったので、必要最小限の設備に抑えてあるようだ。

牟岐駅駅名標

そして、辺川(へがわ)を経て15時24分、牟岐に着いた。ここで5分停車する。でも、降りなかった。もっといろいろ撮っておけばよかった。

牟岐駅

1942(昭和17)年に牟岐線の駅として開業し、1973(昭和48)年に海部へ延長されるまで長らく終着駅であった。そういうこともあり、構内は広く、側線も多くあり、往時を偲ばせる。

海に浮かぶ島々

牟岐を出るとようやく海がちらちら見えてきた。向こうに見えるのは右から出羽島、小津島、津島と思われる。

さばせ大福

鯖瀬の近くにあった店。海の幸を食べさせるのかと思ってよく見たら「さばせ大福」という和菓子店であった。

伊勢田川

牟岐からは高規格で造られているので高架やトンネルが多い。伊勢田川を渡る。

浅川駅

だから、どの駅も高いところにあって周りが見渡せる。

阿波海南駅駅名標

と言っている間に15時42分、終点の阿波海南に着いた。2020(令和2)年まではひと駅先の海部までが牟岐線であったが、ここから先は阿佐海岸鉄道の路線となる。

時間的に投宿してもいい頃合いになっているけど、まだ乗ります。でも、今回はこんなところで。