石清尾八幡宮 その1
ようやく八幡さんへ行ってきた記事です。
3月27日の日曜日、高松の氏神さまとして知られる石清尾八幡宮へ行ってきた。小さい頃から5月の市立祭、10月の例大祭にはよく行っていた。それも高校を最後に行かなくなり、最近では子どもが小さいときにこれらの祭りに連れて行ったくらいで何年も訪れることはなかった。それで久しぶり行っててみた次第。
鳥居。道路のど真ん中にあるので車を気にしながらの撮影。上部に黒い跡が残っているのは扁額が掲げられていたのだろう。
立派な社号標。
香川県神社庁の碑。神社本庁、すなわち伊勢神宮の傘下に入っている神社の集まりの香川県支部がここにある。そういえば、数年前にこんぴらさんが神社本庁から離脱するとかしないとかニュースになっていたような。
随神門。銅葺きの門で両脇には左大臣と右大臣が配されている。
これが由緒。祭神である応神天皇は3世紀から4世紀にかけての人らしい。同じく祭神の仲哀天皇と神功天皇は応神天皇の両親である。延喜年間に亀命山、今の石清尾山に神が降りてきたとか石清水八幡宮の分霊を祀ったとか諸説あるようだけど、いずれにしても古い歴史を持つ。江戸時代に高松を治めた生駒氏も松平氏もこの神社を厚く遇している。この後半に書いてある昭和61年の火災は私が高校生の時のことでよく覚えている。
これは初めて知った。こういうのを知ると他の十四社も巡りたくなる。
ホント、こういうことはやめてください。
南に目をやれば、高徳線の高架がある。ちょうど下り列車がやって来た。
すみません、鳥居や門のところをウロウロしているうちに分量が多くなってきたので、続きはまた今度。今日はこの辺で。
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