雪とローカル鉄道 その44(日本大正村)

これから明智駅周辺を見ていこうと思う。とはいえ、駅で10分ほど撮影に興じたので、残りは20分程度しかない。

駅から徒歩数分のところにある日本大正村の案内図。日本大正村は恵那郡明智町(現・恵那市)の町おこしとして1988(昭和63)年に誕生したテーマパークで、大正時代の雰囲気を残す建物を保存、再現した周辺の街並み全体が大正村にあたる。昨日の奈良井宿のようなものだ。

大正浪漫亭。レストランや土産物売り場があるけど中には入らず、街並み散策を優先する。

本石橋(もといしはし)を渡って東へ向かう。

現役かどうかは分からないけど、寫眞の店ささき。字体が何ともいい味を出している。

十六銀行明智支店。レンガ造りなのは街並みの景観に合わせたからだろう。

「もすけ」というおでん屋。1本100円という良心的な貼り紙が見える。日本酒で一杯やりたい。左側のテントに「所」とあるけど、これは「あっせん所」と書いてあった。でも、何をあっせんしていたのかまでは書いていなかったので、非常に気になる。

南北街道に出る。これは三河と美濃を結ぶ街道。こちらは三河方面。

飛騨方面。

石畳の向こうに洋館が見える。

石造りの重厚な建物。元は病院?

かつての明智町役場は今では日本大正村役場になっている。

突き当りにあった洋館は絵画館。元小学校だ。

絵画館から元来た道を見る。

絵画館と役場の間の道で見つけた明智町の消火栓のフタ。

絵画館を北へ向かい、突き当りを西に戻る。洋館ばかりではなく、木造建築も数多く残る。

大正の歯科医院跡。

大正路地。左右に米や反物を入れていた蔵が並ぶ。この黒い羽目板は防火の役割を果たしている。

この橋の名前は分からない。

その橋の手前にあった糸曳き乙女地蔵。立札には「嗚呼!哀史」と書かれている。製糸業で栄えた明智ではあるけど、富国強兵の影には過酷な労働を強いられた女性がいたことを忘れてはならない。

明智川。向こうに見える橋が最初に渡った本石橋。右に見えるのは大正浪漫亭。

大正浪漫亭の隣にある観光案内所の前にあった自動販売機は光秀モデル。

明智駅前から正面に見えるのは明智西宮恵比寿神社。毎年正月十日の十日えびすでその年の福男を決める「開門神事福男選び」を行っている恵比寿様の総本社・西宮神社から分祀を受けた神社だ。この明智の地にもあるんですね。
で、駅には発車の10分ほど前に戻ってきた。だから、正味10数分の散策で終わったことになる。当然、こんな短時間では満足に見ることなど不可能で、これまた宿題ができた格好だ。最低でも半日は必要だと思った。なんなら泊ってもいい。なんせ、光秀に関する遺構は何一つ見ることができなかったし、おでん屋の「もすけ」もあることだし。
そういうわけで、駅に戻って恵那行きに乗り込む。今回はこんなところで。







ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません