気ままな旅 その10(福山城)
結局、こうなるんですね。まだ初日の昼前なのにその10って…。

バスから降りると大勢の人がこちらに向かってくる。鞆の浦へ行く人たちと思われる。

駅の自由通路を通り抜けると、福山城の前に出る。

こちらの「その2」に載せた写真は上の写真より少し東寄りから撮ったもの。

カープ坊やと福山城のコラボ。

福山城の解説。

坂を上ると石柱が立つ。

正面にでんと控えるのは天守ではなく、武具の保管庫として使われていた伏見櫓。なぜ「伏見」櫓なのかというと、水野勝成が福山城を築城するにあたって、2代将軍秀忠がここへ移築させたのだ。ホント、天守と間違えそうだ。この伏見櫓に限らず、福山城には伏見城から移築された門や櫓が多い。

ここから福山駅の様子が分かる。一番お城寄りにあるのは福塩線のホーム。ちょうど105系電車が停まっていた。

桜並木。まだ少し早いけど、満開なるときれいだろうな。

筋鉄御門(すじがねごもん)。福山城の正門で、門をくぐると本丸に出て、奥に天守が見える。

左に潜戸を持つ。

本丸は広い。手前は伏見御殿跡だ。

伏見櫓を反対側から見る。

御湯殿。藩主が使用する風呂場。桜並木の写真で黒い建造物が壁から張り出ている箇所があったが、この御湯殿の一部である。

月見櫓。2階から城下の様子が一望できる。本来の目的は参勤交代で帰ってきた藩主の到着を確認するための「着見」櫓であった。

鏡櫓。今は福山藩に関する古文書の収集や展示をしている文書館となっている。

鏡櫓付近から二の丸を見下ろす。こうして見ると複雑な構造をしている。向こうに提灯が並んでいるのは花見用だろう。

天守。5層6階の天守と2層3階の小天守を持つ複塔型複合天守だ。唐破風や千鳥破風を用い、優美な印象を持つ。このちょうど反対側の北側の壁には一面鉄が貼られている。これは防御を強固にするためである。当初は水野家、のちに松平家、阿部家がこの地を治めた。幕末の開国期の老中であった阿部正弘は阿部家の第7代藩主である。水野家初代藩主である勝成は福島正則改易後に福山に入り、福山に城を築くにあたっていろいろ精査した結果、北は山陽道が走り、南に鞆の浦を有する、陸上、海上交通の要であるこの地にと定めている。また、幕府からは西國鎮衛(さいごくちんえい)の役目を与えられ、外様の多いこの地域に睨みを利かせていた。だから、家は変われど、歴代藩主はいずれも譜代の出身である。

最上階からの眺め。まずは南の駅舎。

少し西を向く。新幹線の高架が広島方面へ延びているのが分かる。

北側。和風建築の建物と洋館が並んでいる。これらはまとめて福寿会館だ。

西を見ると山が連なる。

旧天守の礎石。以前は小ぢんまりしていたことが分かる。これは現在の天守と比較する意味でも貴重な遺構だ。

最上階の中には水野家の家紋である「抱き沢瀉(だきおもだか)」が飾られている。

天守を下りて角度を変えて撮ってみる。表情がまったく異なる。

棗木門(なつめもん)。

これは排水施設。

鐘櫓。1日に4回、時を知らせている。

福山藩の藩祖、水野勝成。
すぐ見終えるだろうと思っていたら1時間以上経っていた。そろそろ駅に戻ろう。今回はこんなところで。






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