気ままな旅 その29(厚狭駅)
厚狭で降りた。せっかくなので駅の内外を見てみよう。

駅名標。

駅舎をのぞむ。

広島方面。向こうに側線が広がり、左へ美祢線が分かれる。美祢線は2023(令和5)年の水害で被災し、今なお全線で運休している。JRはここぞとばかりに赤字の美祢線を廃止に持っていきたい構えだ。現在、廃止やバス転換、BRTなどさまざまな議論がなされている。存続は厳しい情勢だけど、それならせめてBRTにしてほしい。と、個人の意見を述べさせていただきます。

下関方面。

これは取り壊しているのだろうか。

国鉄時代はよく見かけた「指差確認」の文字。

ホームのはずれにDE10が停まっていた。その向こうに貨車のホキが並んでいるので、それを牽引するのだろうか?いつ見てもカッコいい。

厚狭駅時刻表。山陽本線はコロナ前までは午前からお昼にかけても1時間2本体制だったのに、寂しくなったものだ。

5日前に変わったばかりの美祢線代行バスの時刻表。

跨線橋を渡って駅舎へ向かう。

跨線橋から広島方面。右が新幹線の高架。

同じく下関方面。

階段を下りると美祢線のりばである1番線に出る。

のりば案内にも美祢線がある。貼り紙が痛々しいけど、ここに再び時刻が表示されることはあるのだろうか?

美祢線の駅名標。次の駅は湯ノ峠(ゆのとう)。

広島・長門市(左)方面。

下関方面。隣のホーム、2・3番線は使っていないようだ。

地元の人が活けたと思われる生け花。

ここ数年、代行バスの文字をよく見かけるようになった。

改札口と待合室。

駅員はいるけど、みどりの窓口は3年前に営業を終え、みどりの券売機での対応になっている。

キヨスクもといコンビニはある。

厚狭駅。1900(明治33)年に山陽鉄道の駅として三田尻(現・防府)から延伸された際にその終着駅として開業した。翌年に馬関(現・下関)まで延伸され、途中駅になる。1905(明治38)年に大嶺までの支線が開業。1906(明治39)年に国有化され、1909(明治42)年に線路名称が制定されて、神戸から馬関までの路線が山陽本線、大嶺支線は大嶺線となる。1924(大正13)年に大嶺線は美祢線となる。そして、1987(昭和62)年に民営化、1999(平成11)年に新幹線駅が開業した。構内は側線が多く、のりばも5面7線を持つ。ただし、今は5番線と8番線が使われておらず、実質は4面5線となっている。

この文字いいですね。

駅前の観光案内は同じ市内ということで小野田と同じであった。

寝太郎像。厚狭には三年寝太郎の話が伝わる。

ありがとう。これは日本で初めて角膜移植のための献眼が行われたことを記念して建てられたものだ。

駅前のロータリー。
今でこそ普通列車だけ、新幹線も各駅停車の「こだま」しか停まらない駅になっているけど、この辺りのちょっとした駅はかつては特急も急行も停まっていただけに駅全体が風格を備えている。それは厚狭も同じだ。鉄道復権は難しいにしても少しでも賑わいを取り戻してほしいと思う。
今回はこんなところで。







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