気ままな旅 その46(仙崎駅)

10時14分、仙崎駅に着いた。

ちょっと引いて、駅舎も一緒に入れてみる。木の屋根がいい。

車止めがあってこれ以上先へは進めない。仙崎駅は1面1線の停留場になるけど、右のスペースは機回し線の跡だ。桜はもう一息。

この花、なんでしたっけ?

折り返しの長門市行きがそろそろ出る時間だ。折り返し時間はわずか7分で、10時21分に出る。気になるのは右に見える2キロポスト。長門市-仙崎間の営業キロは2.2キロなのだが、これはどういうことなのだろう?

長門市方面。


駅舎のホームに面する壁には地元の小学生が描いた絵がある。

「〇〇のはなし」仕様の駅名標と金子みすゞの詩。

改札口からホームを見る。

けっこう広い。

手荷物・小荷物取扱所。紛れもなく国鉄時代の遺構の一つだ。仙崎駅で貨物の取り扱いが終わったのは1963(昭和38)年、手荷物・小荷物については不明だけど、最後までやっていたとしても1986(昭和61)年までだったから、いずれにしても国鉄時代のことだ。そんな施設の跡が40年近く経った今でも残っているのは嬉しい限りだ。

出札口も閉じられていて、ポスターが貼られている。

こういうイベントは好きですね。あら、今日じゃないですか。先を急ぐので参加できない。

手荷物・小荷物取扱所の壁には金子みすゞのモザイクアート。

待合室の壁には日本海に沈む夕陽をイメージしたのだろうか。

そこにこんな看板があった。これは近くにある道の駅。行きたいところだけど、ここも行けない。

駅の出入り口。

駅の一角にギャラリーがある。

ここでは金子みすゞの生涯や詩を紹介するコーナーや

地元仙崎出身の作詞家・大津あきらの回顧展が催されていた。

仙崎の駅舎。和風な感じがいい。奥にはちょっとした庭園が整備されている。
仙崎駅は1930(昭和5)年に美祢線の貨物支線として開業。最初は旅客営業はしていなかったんですね。それから1933(昭和8)年に山陰本線が全通した際にこちらも山陰本線の仙崎支線となり、旅客営業も開始する。優等列車の乗り入れはなく、最近になって観光列車が設定されるようになり、今では「○○のはなし」が入ってくるけど、今は不通区間があるため長期運休中だ。優等列車は運行されていなかったけど、行商人のための列車は運行されていて、活気があってさぞ楽しかったことだろう。

木造に見えるけど、鉄筋コンクリート製だ。でも、それを感じさせない仕上がりだ。

昔ながらの駅といった雰囲気だ。丸ポストがポイント高い。年々減少していて、20~30年前は絶滅危惧種と思われた丸ポストだが、最近あちこちで見かけるようになったのは気のせいだろうか?観光地ではあえて残しているのだろうか?旅で観光地ばかり行くから目に付くだけなのか?

仙崎の観光案内地図。

こちらは手荷物・小荷物取扱所の脇にあった「みすゞまちあるきマップ」。
仙崎の誘惑がものすごいけど、私は予定通り動きます。今回はこんなところで。







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