気ままな旅 その48(山陰本線代行バス①)

次は山陰本線の代行バスで小串へ向かう。

はやく復旧してほしい。

代行バスの時刻表。列車では概ね1時間20分ほどで走破できるところをバスだと2時間近くかかる。
これから乗る区間を中心にちょっと歴史を。まず、1928(昭和3)年に美祢線として正明市(現・長門市)-黄波戸(きわど)間が開業するところから始まる。翌年に長門古市に延伸。さらに翌年の1930(昭和5)年に阿川まで延伸。一方の下関側は1914(大正3)年に長州鉄道として東下関-小串間が開業、1925(大正14)年に国有化され、幡生-小串間が小串線となる。1928(昭和3)年に小串-阿川間が延伸、そして、1930年の美祢線阿川延伸によって両線がつながる。1933(昭和8)年に須佐-宇田郷間が延伸開業した際に、美祢線の宇田郷-阿川間、正明市-仙崎間、小串線を編入して山陰本線となった。

これが小串行き。朝乗った美祢線の代行バスと同じJRバスだけど、美祢線で乗ったのと比べるとグレードの高そうな車両だ。

私の前に乗ったおじいさんが左の最前列の席に座ったので、右の最前列に座る。さっきのバスと違って運転手より高い位置に座席があるので、こちらに座っても支障はないかもしれない。

場違いな西鉄バスが見える。これは防長交通と行っている福岡-萩線の試行運転だ。

まずは美祢線と同様に県道56号に入る。

突き当りを左折して南に向かう。

長門市駅を見る。

再び長門市役所の前を通り、

東深川の交差点で国道191号に入って西へ向かう。
国道191号は下関から日本海に沿って益田まで行き、そこから山間部に入って匹見峡や三段峡を通って広島市中区に至る国道だ。と知った風なことを書いているけど、私はずっと下関と益田を結ぶ国道だとばかり思っていた。まさか広島まで結んでいたとは思ってもいなかった。調べてみるといろいろ勉強になります。

美祢線をまたぐ。その向こうには青海島が見える。

美祢線以来の深川川を渡る。ときどき黄色っぽい画像があるのはガラスにUVカットもしくは断熱効果が施されているためらしい。

山陰本線が見えてきて、

日本海…仙崎で見てきた深川湾も見えてきた。

今度は山陰本線をまたぐ。

深川湾と山陰本線に挟まれる。

ちょっと波がある。

ほどなく海から離れて、

今度は県道66号に入る。再び山陰本線と交わる。黄波戸温泉に行くのもこの県道だ。

また深川湾が現れる。

12時02分頃、ブルーライン交通の長崎バス停に停車する。ここが最初の停車駅である黄波戸の最寄りになる。黄波戸はここから少し山側に入ったところにあり、バスでは乗り入れることができないため、このバス停での乗降となる。で、バスは折り返さずに引き続き県道66号を走る。

バス停を出てすぐのところの海岸。千畳敷とはまではいかないけど、岩肌がむき出しになっている箇所がある。このちょっと先に「黄波戸駅0.3キロ」の標識があったが、これは車用で、徒歩の人はバス停からすぐのところの路地を歩けば、数分で駅に着くことができる。

石州瓦が美しい。

黄波戸漁港が見えると深川湾も終わりに近づく。

ヘアピンカーブで上っていく。

だいぶ上ってきた。この後、もう一度深川湾を見ると山の中に入り、

黄波戸峠を越えていく。

峠を下るとほんのちょっと山陰本線と並走する。

田畑が広がる中をのんびり走る。

踏切を渡る。

古い建物が並ぶ、昔の街道のような雰囲気だ。これは赤間関街道の北裏道筋の宿場があった名残りだろうか?

その先にあるのが12時14分頃に着いた長門古市だ。立派な駅舎だ。駅前の石を使った庭もいい。駅舎は「ふれあいプラザはまゆう日置」というコミュニティ施設としても使われている。ここで私の逆サイドに座っていたおじいさんが降りる。移動してもよかったけど、こちらなら海が見られると思って変わらなかった。入れ替わりに女の子が一人乗ってきた。

こちらが駅本体で小ぢんまりしている。駅周辺のほんのわずかなエリアの散策でも楽しめそうな長門古市駅であった。
今回はこんなところで。







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