伊予西条へ行ってきた その9

四国鉄道文化館南館行き

つづいては南館へ。

ぽっぽ橋

駅東にある自由通路「ぽっぽ橋」を渡って駅の南側へ。

石鎚山系

橋の上から見た石鎚山系。曇ってはいるけど、隠れていない。

石鎚山系

どれかが石鎚山なのだろうけど、この中の一番高い山なのか、この中にはいないのか、隠れているのか。

四国鉄道文化館南館

四国鉄道文化館南館。車両はフリーゲージトレイン第2次試験車であるGCT-01だ。新幹線と在来線ではレールの幅が違うため、そのままでは乗り入れることができない。そこで、レールに応じて車輪の幅を変えられる車両として開発されたのがGCT-01だ。2007(平成19)年から2年間は九州の在来線や新幹線で走行試験をし、2013(平成25)年から2年は四国でも試験が行われたものの、結局実用化には至らなかった。私としてはもともと新幹線は別にって感じなんですが、県や経済界は違うらしい。これで予讃線が第三セクターにでもなったらげんなりする。私が生きている間は無理そうだけど。

こちらの展示車両はもちろんこれだけではない。数は多くないけど、これまた貴重なものばかりだ。

C57形蒸気機関車

まず、まるでお召列車にでも使われるかのようにきれいに磨き上げられたC57。山口線を走るSL「やまぐち号」は近年までこれと同じ形式の蒸気機関車が使われていたのはご存じだろう。国鉄時代は急行列車の先頭に立ち、その姿は貴婦人の愛称にぴったりで、スマートな車体は惚れ惚れするほどだ。

C57の運転席

C57の運転席。機器類が所狭しと並んでいる。

キハ65形気動車

次はキハ65形気動車。この車両のおかげで気動車急行の冷房化が進んだといってもいい。これまでのキハ58系ではエンジンの出力が弱く、特に勾配区間においてはとても冷房を供給できるほどの力はなかった。そこで高出力エンジンを搭載した本機を編成に1、2両組み込むことで編成全体の冷房化を実現できた。また、外観がキハ58系と違っており、ぱっと見でもキハ65だなと分かる存在だった。私の好きな車両のひとつで、引退直前に運用を追いかけて乗り回したものである。

キハ65の車内

キハ65の車内。晩年はこのようなモケットに張り替えられていた。

DE10形ディーゼル機関車

最後にDE10形ディーゼル機関車。同時期に製造されたDD51が幹線用だったのに対してこの機関車は亜幹線用に造られた。四国では北館にあるDF50とともに客車や貨物をけん引していて、珍しいところでは髙松-伊予西条間の臨時急行「いよ」を牽ていた。あ、ちなみにこれもトップナンバーです。

標識の数々

外に出ると、線路わきに立つ標識とその解説が並ぶ。

動輪の数々

これは様々な動輪。

進路表示機

信号機も並んでいるけど、知らないのが多い。これは進路表示機。

中継信号機

これは中継信号機。

昔の時刻表

昭和34年の伊予西条駅の時刻表を再現したもの。上下合わせてこの本数しかなかった。まだ客車全盛で半分ほどの列車で二等(今のグリーン車)の文字が見える。あと、まだ髙松桟橋駅があった頃で、つまり高松駅も旧駅舎の時代だ。3時20分発宇和島行きとか2時15分発髙松桟橋行きとかそそられる。

ヘッドマークとサボ

ここにもヘッドマークがある。急行「四国」のサボは大変貴重だ。

硬券切符

昔の切符も。やっぱり硬券はいいですね。

四国で活躍した車両

かつて四国で活躍した車両の模型。

ジオラマ運転時刻表

ジオラマの運転時間を知らせる案内板。これは1枚も写真を撮っていませんでした。片手落ち。でも、子どもたちには大変な人気だったので、お子様連れのご家族にはいいと思う。

四国の国鉄の歴史に触れられて有意義だった。今回はこんなところで。