小倉祇園 八坂神社
小倉城には隣接して八坂神社がある。せっかくなので、そちらも見ていこうと思う。
元来た道を戻るような形で多聞口門へと向かう。
枡形になっている。
多聞口門。門を抜けると小倉城北の丸で、そこに八坂神社がある。
おそらく神社の裏口になると思われる多聞口門だけど、ちゃんと鳥居がある。
もちろん、城内に神社が造営されていたわけではなく、今の社殿は1934(昭和9)年に遷座されたもので、もともとは小倉の西にある愛宕山の山頂にあったものを細川忠興が城下の鋳物師町に新たに建立して、それが城内に移されたという具合になっている。
境内にはいろいろな摂社、末社がある。三本松高倉稲荷神社。左右に狐が座っている。
水之御祖社(みずのみおやしゃ)。井戸の神、水神様ですね。
祈祷殿。
疣(いぼ)取り石。ここに溜まった水をイボにつけるとイボが取れるという。
絵馬の小径というだけあって、たくさんの絵馬が並ぶ。奥の鳥居の向こうに見えるのは春日社(左)と金刀比羅社。
拝殿。銅葺き屋根で堂々としている。正面には家族連れが並んで写真に納まっている。
縁起によると、小倉の西にある愛宕山の頂上にあった祠が始まりで、これを見つけた細川忠興が無理矢理扉を開こうとしたところ、中から鷹が飛び出して忠興の目を蹴い、失明同然となってしまう。そこで忠興はこの祠の謂れを家臣に調べさせると、出身地の京都の八坂神社の須佐之男命(すさのおのみこと)を祀っていることが分かった。忠興は神様に対する非礼を働いた神罰だと深く反省し、城下の鋳物師町(西小倉駅の西の地域)に新たな社殿を建立し、眼病平癒の祈祷を行った。すると忠興の目が治ったという。そして、先述の通り、1934年にこの地に遷して現在に至る。最初の祠がいつからあるのか分からないけど、忠興の時代からでも400年以上もの長い歴史を持っている。祭神は当然、須佐之男命と他に十二柱となっている。
今日は11月17日の日曜日。2日前が七五三だったので、この週末にお参りに来る家族連れは多いようだ。昭和を感じさせるイラストが味わい深い。
それから新嘗祭。23日でなかったか?と思ったら、その日は奉祝行事になっている。で、今日は予祝行事だという。それで拝殿前にはテントが張られているわけだ。今にも降りそうな空模様だけど、なんとか持ってほしい。
大きな太鼓。今日の予祝行事で太鼓の競演がある。
最近はこういうおみくじはあまり見られなくなった。
社務所。大きな神社は社務所も大きい。
本殿。本殿というとそれほど大きくはないものだけど、ここは比較的大きい社殿だ。
神明神社。
納札所と書いていないとそうは見えない。
先ほどの絵馬の小径に通ずる。
猿田彦大神。
恵比須様。
恵比須社。
祖先の霊を祀っている祖霊殿。
手水舎。
斎館。
この写真館は神社に合わせたのだろうか?
東楼門をくぐって堀に出る。白い建物は右が祖霊殿、その奥が参集殿。
堀を渡って、道路も渡って東楼門をのぞむ。
再度戻って東楼門。
では、そろそろ先へ急ごう。
あちこちに七五三の幟が立っている。
堀は堀でもこれは空堀。
こちらが正門。扁額には豊前総鎮守と書かれてある。こちらは小倉城の北口門になる。
脇には猿田彦神社の社。
参道。
そして、お城に入る前に見た大鳥居の前へ出る。
このようにお城を先に巡ると神社は裏から入るようになる。これを逆に回れば、神社は表からになるけど、お城は裏からになるから難しいところだ。
お城と神社がセットになったかのような小倉城と八坂神社、効率よく回れるので観光客にはうれしい。ここをスタートして、同じ場所に戻るのにちょうど2時間かかっている。そのくらいかけて見る価値はある。
小倉城だけのつもりだったからなんだか得した気分になった。あと、この鳥居の横にも碑や末社、摂社のようなのがあるので見て回るが、それは次回。今回はこんなところで。
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