下松発下松行き その18
12時31分発の岩国行きに乗って一路岩国へ。
切り離された車両とさっき乗ってきた車両を見ながら錦町駅を離れていく。
北河内では錦町で出会った「清流みはらし号」と交換する。岩国まで行って折り返してきたのか、ここで長時間停車して折り返すのか。
コキフの清流新岩国。
再び岩徳線。トンネルからレールが現れる。
ちょっとした鉄橋も見える。
だんだん近づいてきて…なぜか画像が黄色っぽい。
約3時間半ぶりに川西に戻る。
ここで錦川を渡る。さすがに下流だけあって川幅が広い。よりにもよって窓にこびりついたゴミにピントが合ってしまった。マクロ撮影などした覚えはない。4枚撮ったけど、ずべてこんな感じだった。じゃあ、載せるなよと言われそう。
元岩国駅の西岩国。木造平屋の駅舎で引き戸も改札口も木製なのが分かる。風情あるこの駅に降りてみたかったけど、そのまま岩国へ向かう。
西岩国駅は1929(昭和4)年に岩徳線の終着駅として開業。それまでの岩国駅(現・岩国駅)は麻里布(まりふ)改称した。これは駅の所在地が麻里布町だったことによる。1932(昭和7)年、櫛ヶ浜からの路線が岩徳西線を名乗ったので当線は岩徳東線となる。
1934(昭和9)年、岩徳東西線が結ばれて、山陽本線に組み込まれ、柳井回りの路線は柳井線になった。面白いのは同じ年に麻里布から岩国を経由して日原を結ぶ省線自動車(のちの国鉄バス、現在のJRバス)の岩日線が開業していることだ。
ちょっと脱線するけど、かつて国鉄は各地にあった未成線に将来は鉄道を通すという前提で国鉄バスを走らせていたものだ。岩日線の根拠法は1892(明治25)年に公布された鉄道敷設法を廃止して、1922(大正11)年に公布された新法(改正鉄道敷設法)の別表96号による。ちなみに岩徳線は97号が根拠となっている。リンクはいずれもwikipediaからのものです。
1942(昭和17)年に麻里布が再び岩国となり、岩国は西岩国となった。そして、1944(昭和19)年に柳井線の岩国-徳山間の複線化が完成すると柳井線を山陽本線に戻し、同区間の山陽本線を岩徳線として現在に至っている。
13時41分、岩国に着く。
錦川鉄道と岩徳線の列車が仲良く並ぶ。
次の列車だと接続が3分で慌ただしいので、1本やり過ごして次の列車に乗って下松への戻りに入る。今回はこんなところで。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません