岡山逆台形の旅 その12(津山~美作追分)
6日ぶりに再開です。

ホルモンうどんを食べ終えて急いで駅に戻った甲斐あって、

発車10分前に乗り込むことができた。姫新線新見行きはキハ120の1両であった。

さっそく車内に入ると、もう席の半分は埋まった状況だったので、一番前まで行って、そこで前と左右を撮ることにする。立つことになるけど、三方見えるのならなんてことはない。

ここに陣取る。

岡山から来た快速「ことぶき」が到着。

その接続を受けて12時53分、発車。約1時間40分揺られる。
姫新線は作備線として1923(大正12)年に津山-美作追分間が開業して、その歴史が始まる。一気に全線開業した津山線と違って、少しずつ延伸している。1924(大正13)年に久世、1925(大正14)年に中国勝山と延びる一方で、1929(昭和4)年には西側の新見-岩山間が作備西線として開業、作備線は作美東線と改める。1930(昭和5)年に中国勝山-岩山間が開業して作備線が全線開通した。
姫路からはというと、まず1930(昭和5)年に姫津線として姫路-余部間が開業。1931(昭和6)年に東觜原(ひがしはしざき)、1932(昭和7)年に播磨新宮、1934(昭和9)年に三日月まで延伸する。そして、同じ年に東津山-美作江見間が姫津西線として開業。従来の姫津線は姫津東線に改称する。1935(昭和10)年に佐用まで延び、1936(昭和11)年に播磨新宮-三日月間が開業して姫津線となる。同じ年に作備線と姫津線を姫路-新見間の姫新線とした。
どうでもいいことですけど、神戸や姫路を走っているバスは神姫バスです。ホント、どうでもいいですね。
戦後は1960(昭和35)年に準急「みささ」、「みまさか」が運転を開始(のち急行格上げ)。「みささ」は因美線に入り、「みまさか」は姫新線を直通して中国勝山、月田、新見と行先も多彩だった。両列車は民営化後も残り、1989(平成元)年まで関西と中国地方を結ぶ優等列車として活躍した。そんな姫新線も今や普通列車のみが走るローカル線になり、地域の足として活路を見出している。

扇形機関車庫を左に見ながら津山を後にする。

右側通行のように見えるけど、右が姫新線、左が津山線の線路だからこうなる。

分かりにくいけど、この先で線路が左右に分かれていく。

右・吉井川、左・皿川が合流してこちらに流れている。

廃ホームが見えてきて、

院庄に着く。可愛らしい駅舎の前には大きな木。タクシー用の駐車場が3台分あり、閉店している駅前商店など駅周辺を見る限り、往時は賑わったのだろう。

再び吉井川を渡る。吉井川とはここでお別れ。

田畑の中をまっすぐ伸びるレール。枕木は今も「木」で、いかにもローカル線といった風情がある。

吉井川の支流・久米川に沿う。

開業以来築100年超えの駅舎の美作千代(せんだい)に着く。

昔は相対ホームだったようだけど、このとおりレールはなく、ホームが残るのみだ。

同じような風景を見ながら初めての交換可能駅に入る。ホームが千鳥配置になっている。

坪井に着く。各駅何人かずつ乗り降りがある。左手の白い箱が駅舎?待合室?だ。その場所に以前はちゃんとした駅舎があったのだろう。駅前には立派な木が立っている。開業時から植えられているのだろう。右から伸びる枝は桜だ。駅前は広く、送迎の車が入っても十分なスペースがある。正面には駐輪場も見える。駅舎さえあれば、と思わせる風景。

向かいのホームはこの車両の後方が端っこになっている。構内踏切でホームを渡るのはいいですね。よく見るとホームが低い。客車時代のままのようだ。

同じく向かいのホームの待合室。年季が入っている。

久米川と国道181号と並んで走る。

だんだん狭まってきた。

突如、駅が現れて美作追分に着いた。ここも元2面2線の駅で、今は棒線駅になっている。駅舎は交流施設「キリタローの館」を併設した近代的なものになっている。キリタローとは旧落合町の河内地区でよく発生する濃霧が昔から疎まれてきたのだが、それを逆に村おこしのマスコットキャラクターにしたのだ。奥に見えているのはコミュニティバスで、津山市と真庭市が運営しているが、どちらのバスだろう。

これがキリタロー一家。駅に入ったときに写っていた。
新見まで約3分の1走ってきた。2回で終わるかなと思っていたんですが、3回?もっと?のんびりいきましょう。今回はこんなところで。







ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません