岡山逆台形の旅 その19(新見~備中高梁)
3回にわたってお送りした新見駅も前回で終わり、播州赤穂行きに乗る。

ようやく腰を下ろすと間もなく発車。岡山地区の115系はもともとボックスシートだった座席を転換クロスシートに交換している関係で、窓と座席の位置が必ずしも合っていない。だから、いい具合の席を探すのに苦労する。幸い、新見の時点ではお客さんがそれほど乗っていなかったので、選り取り見取りだった。
伯備線は倉敷からの伯備南線、米子からの伯備北線の双方から建設が進められ、南線は1925(大正14)年に倉敷-宍粟(しさわ。元豪渓)間の開業から始まる。それ以降、美袋(みなぎ)、木野山、備中川面と延びて、1928(昭和3)年に南北両線が繋がり、全線開業した。
優等列車が走り出したのは戦後になってからで、1958(昭和33)年に京都-大社間に登場した客車急行「だいせん」がはじまりである。1961(昭和36)年に気動車化、1968(昭和43)年に「おき」に改称し、赤穂線経由だった時期もある。「おき」は1971(昭和46)に特急化、翌1972(昭和47)に新幹線連絡特急「やくも」に生まれ変わる。他にも急行「しんじ」、「皆生(かいけ)」、「たまつくり」、「しらぎり」といった愛称の急行が走り、のちに「伯耆(ほうき)」となった。そして、1982(昭和57)年の伯備線電化に合わせて「やくも」と「伯耆」をまとめて381系による電車特急「やくも」になった。それまで「やくも」は松江、出雲市、益田と行先が多彩で、食堂車も連結していたのだが、岡山-出雲市に統一、食堂車も廃止された。今は「やくも」用に新製された273系によって15往復運行されている。
あと、忘れてはならないのは寝台特急「サンライズ出雲」だ。もともと東京-出雲市間を走っていた客車の「出雲3・2号」の京都-米子間を山陰本線経由から山陽本線、伯備線経由にしたのだ。その結果、全区間電車で走ることが可能となり、285系電車の「サンライズ」を使用した「出雲」となった。高松に住んでいるので僚友の「サンライズ瀬戸」には何度か乗っているけど、「サンライズ出雲」には未だ乗ったことがない。早いうちに乗りたいと思っている。

では、本題に戻ろう。さっき乗った姫新線が分かれる。

227系uraraと姫新線で乗ってきたキハ120が休憩している。

115系もいる。

駅構内を外れるとさっそく高梁川に沿う。が、すぐ別れる。

すると、今度は渡る。

また渡る。

そうして、最初の駅・石蟹(いしが)に着く。2面3線の駅で、駅舎は木造の年季の入ったものだ。

高梁川は蛇行する。伯備線はそれを串刺しするようにトンネルで直進する。

周りは山で狭まっており、高梁川が作ったわずかな平地に家屋が点在する。で、石蟹から次の井倉にかけては複線になっている。

15時45分、井倉に着く。ここで上り特急「やくも20号」待避のために11分停車する。そこへ下りの新見行き普通列車が入ってきた。先頭車不足を補うために中間車を改造した「食パン」クモハ114だ。

井倉駅のホームはカーブ上にある。駅舎は一段低いところにあるので、どんな駅舎か分からない。ちなみに井倉も2面3線の構造となっている。

井倉駅駅名標。

井倉駅の周辺の山では石灰岩を含む山が多く、石灰業がさかんであり、採石工場が建つ。近くには井倉洞や満奇洞という鍾乳洞もある。井倉洞は昔テレビコマーシャルをしていたのを覚えている。
待っていると轟音とともに「やくも」が通過していく。そして、こちらも15時56分発車。

専用線があった頃の名残りのバラストと架線柱。

井倉洞の入り口。行くとしたら夏ですね。

井倉を出て数分経った16時頃、レールが分かれて停車する。広石信号場だ。信号場でていしゃするとおうことは…。

「やくも17号」が通過していった。

この区間は高梁川と並走している。対岸を走っているのは国道180号。

そのまままっすぐ走って方谷に着く。駅名の由来となったのは山田方谷という備中松山藩の藩士で、逼迫する藩の財政を立て直したことで知られる。人名が駅名となった珍しい駅である。山に囲まれた静かなところで駅周辺には方谷にまつわる石碑や旧居などがある。

少し離れていた高梁川がすぐ横に現れる。振り返って撮ってみる。

けっこう蛇行はしているので見ていて楽しいし、右に左に忙しい。車内が空いているとどちらも見られるのがいい。

備中川面。コンクリート製の立派な駅舎だ。この辺りは山と川に挟まれた平地が広めで田んぼが広がり、江戸時代に整備された新見往来沿いには人家が多い。川面という駅名だけど、駅から高梁川は見えない。

どこを切り取っても画になる。

ここでは少し高いところを走っていて、高梁川も国道180号も見下ろしている。

木野山は相対式ホーム2つの2面2線の駅だ。ホームの向こうは国道180号があり、その向こうを高梁川が流れる。

高梁川支流の有漢川(うかんがわ)を渡る。

流れはだいぶ穏やかになってきた。川の向こうに見えるのは八長山(おながやま)。逆の左側には臥牛山が鎮座し、備中松山城跡がある。

木の間から神社がチラッと見える。八重籬(やえがき)神社で備中松山藩主の板倉氏創建の神社だ。

御殿坂。備中松山城への登城の際に通る坂だ。このあと、左手にはお寺が並ぶエリアがあり、だんだんと城下町っぽくなってくる。

16時24分、ここには写っていないけど大勢の人が待つ備中高梁に着く。向こうには213系が見える。新見行きの普通列車だ。

伯備線はここから複線になる。車内は一気に混んできた。このあとも駅ごとに増えていくだろう。左右への移動はやめておく。今回はこんなところで。







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