雪とローカル鉄道 その1(魔の0日目)

2月7(金)~11(火・祝)日の日程で楠君とともに長野へ旅に出る。これは私が長野はいいとさんざん勧めていたからで、それならぜひ行こうとなり、日程もこの日と決めた。10日は月曜日だけど、有給休暇を取る。

サンライズ瀬戸

細部は後のこととして、出発日となる2月8日は寝台特急「サンライズ瀬戸」でスタートする。私たちが「瀬戸」に乗るのは暗黙の了解事項のようになっている。

幻の寝台券

それで私は出発日の1か月前にあたる1月7日の朝、高松駅へ出向いて「みどりの窓口」で「サンライズ瀬戸」の寝台券を取ってきた。狙いはサンライズツインだ。10時の発売の30分ほど前から駅に行って、係員の人に訳を話してスタンバイしてもらってうまい具合に取れました。

細かい日程が決まり、宿も抑えて、当日を待つばかりとなったところで、今年一番の大寒波がやってくる。するとなんとしたことか、2月6日、7日の「サンライズ」は僚友の出雲も含めて上下ともに運休と発表された。6日は発表当日で早いほうがいいにしても、7日も早々と運休を決めるのですか?7日なって翌8日も運休になっていた。関ヶ原がすごいのだろう。それに出雲は中国山地を越えなければならないから二重の意味でも運休は仕方がない。

楠君と相談する。運休の「サンライズ」は諦めるとして、7日中に髙松まで来てもらって、8日の快速「マリンライナー2号」で出発して行程を追いかけていこうということになった。予定では楠君は19時半頃に高松に着く「マリンライナー」で来ることになっている。高松駅の近くにはたくさん居酒屋があるから、そこで瀬戸の残念会でもやって、うちに泊まってもらおう。

が、それすらもうまくいかない。楠君は仕事を早めに切り上げてこちらに向かうことにして、夕方には岡山に着いた。このままではむしろ私の迎えのほうが遅れそうで、仕事を定時(17時30分)で上がってもどうかなというタイミングであった。ところが、17時13分に岡山を出た「マリンライナー49号」は折からの強風で児島で運休。ホームページでは次の51号以降が運休となっていたけど、1本早まったようだ。そして、楠君が乗っていた49号は乗客を降ろすと岡山へ引き返してしまったという。楠君は仕事を終えて帰宅後、ちょっとした用事を片付けてから出たのがまずかったと悔やんでいた。こんなことは予期できないから仕方ないです。

児島は高架駅で海も近く、2月の強風下のホームにいると凍え死んでしまう。楠君を乗せた列車もずっとホームを占拠するわけにもいかず岡山へ帰ってしまったので、風をしのげる場所もない。あったかも?いや、どうもホームにはないようで、乗客は改札への階段へ移動して風を避けていたという。以下の2つの動画は楠君から拝借したものです。

楠君には改札を出られるか聞いたほうがいいし、コンビニがあるからそこで何か食料を仕入れないと体がもたないとアドバイスした。その辺は駅員も分かっているようで、改札からは出られたようだ。で、コンビニで食料を手に入れたという。結局21時頃、上りの特急「しおかぜ・いしづち」が児島に到着、下りの「南風」が児島を出たようだ。ちょうどその頃、岡山から「マリンライナー」が発車したという報が入ったとのことで、児島で3時間ほど待って、21時半頃にようやく児島を出たと楠君から連絡が入った。

そういうわけで、楠君が高松に着いたのは22時過ぎであった。飲みに行くことも叶わず、私の家に直行となった。まずは風呂に入って温まってもらって、お酒を飲んで、コーヒーも飲んで外からも中からも温めて、体の冷えを取ってもらう。そうこうするうちに楠君のことが大好きな息子も加わって、最近覚えた麻雀をやりたいというので、30年ぶりくらいにお手合わせをする。0時頃に始めて、回を重ねるうちに1時を過ぎた。4時35分発の「マリンライナー2号」に乗るには3時半の起床だから、寝ずにこのまま徹マンをすることになった。徹マンも久しぶり。

旅の0日目は最悪のスタート、いやスタートすらしていないが、明日の行程はどうなるのだろうか?こればかりは行ってみないと分からない。キャンセルもせず、強行してどうなることやら。今回はこんなところで。