雪とローカル鉄道 その47(岩村城下町散策①)
駅内外の撮影だけで30分近く使ったので、残り1時間しか散策ができなくなった。無理せず回れる範囲で歩こうと思う。
岩村は戦国時代、武田氏の支配下にあり、武田氏滅亡後は信長に移った。江戸時代になると岩村藩として大給(おぎゅう)松平氏の宗家、丹羽氏、大給松平氏の乗政流が当地を治めていく。その際に整備されたのが今から歩く城下町である。

さっそく駅前に気になるお店が現れる。この見た目だけで入りたくなる雰囲気だ。

鴨長明塚。解説板よると下鴨神社の禰宜の家の出であるとか最期の地がここ岩村であったとある。この碑は岩村藩の家老によって建てられたものだという。鴨長明が鎌倉時代に方丈記を記した人というのは日本史の授業で教わっていて覚えているが、ここまで深くは学んでいない。

こういう看板まだ残ってるんですね。

これから城下町に入る。岩村本通りという。

立派な米屋があれば

酒屋もある。

宿だろうか?外灯がガス灯を思わせていいですね。

振り返ってみる。

奈良井宿とはまた違った雰囲気を出している。

こういうちょっと古いのもいい。

巌邑(いわむら)天満宮。江戸時代後期に大宰府を参拝した問屋の弥五八知英が分霊を受けてこの地に建立したのが始まりというから比較的新しい神社で、御祭神はもちろん菅原道真だ。

家々にはこういう碑や札が見られる。これは岩村藩士で儒学者の佐藤一斎の言葉だ。

ここもまたどこを切り取ってもいい。軒先には青い暖簾がかかっている。これは女城主の里に因んでのことで、暖簾にはその家の女性の名が記されている。

通りに入って、ようやく最初の辻まで来た。そこにあった道しるべ。左は「左なこや(名古屋)」、右は「是より」は読めたけど、そこから下が読めない。これでは古文書は読めませんね。
ネットで調べてみると2015(平成27)年にホットいわむらというところが出した機関誌?情報誌?に記事があり、右の道しるべは「是より左ハなこや道 右ハみたけ道」とあった。「みたけ」とは中山道の御嵩宿のこと。左のそれは「左なこや道」だそうで、雪の下に続きがある。こういう遺構は大切にしたい。

この先、道が少し折れている。城下ですから、見通しは悪くしてあるんですね。

いいなと思ったら何でも撮ってしまう。

その隣の店もいい感じ。農機具店のようだ。

洋品店。

「ようこそ ふくろう商店街」NHKの朝ドラ、「半分、青い」はこの城下町が舞台で、この岩村本通り西町商店街は「ふくろう商店街」という設定でロケが行われた。こういうのがあると街は盛り上がりますね。讃岐でも何かないかな。

普通のお宅だけど、氷柱が気になったので、思わず撮影した。

アンティークのお店。昭和の看板も見られ、風景に溶け込んでいる。

石垣に漆喰と格子塀、商家かと思ったらJAだった。

廃業している店舗はあるものの、様々な店が並ぶ。

右は昔ながらの建物の一方、左の金物店はタイル張りと古いなりにも年代の違いが見られるのが面白い。

カステラ、しばらく食べてないなぁ。カステーラというのが時代を感じさせていい。ここが駅の名産品コーナーにあった松浦軒本店だ。

お食事処に喫茶と食事ができる店もいろいろある。

あしざわやは手芸品店。

西町ふれあい広場でトイレ休憩。ここには朝ドラの舞台となったことを紹介する解説板があった。

顔はめ看板。

昭和な広告。

懐かしい。
1回で終わるかと思ったら終わりそうもありません。ちょうど一区切りついたので、今回はこんなところで。







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