雪とローカル鉄道 その50(恵那~多治見)
この連載?が始まったとき、楠君が「その20」まで続いた前回の「むろととうずしお」を念頭に「その50」までいくやろと言っていたのを思い出す。細かく書いたなという自覚があるとはいえ、そこまではいかないだろうと思っていたのだが、計算したわけではなく、その予言通り50に達した。それにしても、2月の旅をここまで引っ張るかね?

次に乗るのは16時33分発の名古屋行き快速。快速運転となるのは多治見からだ。
入線シーン。これから1時間ちょっとかけて名古屋へ向かう。季節が季節だけにどこまで外が眺められるだろうか。315系の8両編成だ。

恵那を出ると間もなく右へ下り線が離れていき、新槇ヶ根トンネルへと向かう。

数分後、再び合流。

武並。宿場町ではないけど、ここも中山道が通っていた。かつては荷物も貨物も扱っていた駅舎は建て替えられて、コンパクトなものになっている。長野行きの特急「しなの19号」が通過する。

土岐川を渡る。

釜戸。中山道の大湫(おおくて)宿が近い。1902(明治35)開業のこの駅の駅舎は中央本線の駅では一番古い。100年以上も建て替えられずに残っているのが素晴らしい。が、駅舎は反対側にあるので、写真に撮れていない。あと、ここには住友セメントの専用線が敷かれていた。画像が青っぽいのは中津川から恵那で乗ったのと同じ理由です。「白狐と河童と竜の里」の看板がほっこりする。

土岐川を2回渡って瑞浪(みずなみ)に着く。主要駅っぽいイメージだけど、特急は1本も停まらない。先ほど乗車した恵那は2往復ながら停車があるのと比べて意外な感じがする。向こうの駐車場になっているところにはかつて側線があったというから駅の規模が分かる。この辺の駅は特急待避ができるよう2面3線の駅が多い。発車すると瑞浪止まりの快速列車が入ってきた。

美濃焼の産地として有名な土岐市。同じような画が続いてすみません。この辺りまで来ると沿線風景は乏しく、これといったものもないので。土岐市もまた2面3線の駅で、側線が何本かある。次の多治見から中津川までは1902(明治35)年に開業した区間で駅の造りもよく似ている。残念ながら駅舎は逆側ばかりで撮影が全然できないでいる。土岐市にはかつて東濃鉄道の駄知線が乗り入れていたけど、豪雨被害で1972(昭和47)年休止、2年後に廃止されている。
それにしても、315系の加速がいい。まだホームにいるうちからかなりの速度に達している。
土岐市を出るとトンネルを2本くぐる。そのトンネルを抜けると列車は左に土岐川を見ながら走る。なので、私たちは撮れない。

もう1本トンネルを抜けると多治見の街に入る。そして、西の山に陽が沈もうとしている。

17時ちょうど、多治見に着く。向こうに見えるのは中津川行き快速。太多線との分岐駅でもあり、3面5線とこの辺りでは大きめの駅となっている。そして、特急「しなの」を含めすべての列車が停車する。1900(明治33)年に名古屋から当駅まで開業。2年後に中津川まで延伸。1918(大正7)年には東濃鉄道が開業、1926(大正15)年に国有化され、国鉄太多線となる。
それとは別に1928(昭和3)年に笠原鉄道が多治見近くの新多治見-笠原間に開業、1937(昭和12)年に多治見延長(1958年に延長区間廃止)、1944(昭和19)年に東濃鉄道と合併、東濃鉄道笠原線となるも1971(昭和46)年に旅客営業廃止、1978(昭和53)年に貨物営業も廃止されている。
17時01分発車。「その50」で終わりませんでした。今回はこんなところで。






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