敦賀へ行ってきた その18
これから敦賀の観光を始めるわけだけど、事前にどこを巡るか検討してみると見てみたいところが東西に広いことが分かった。今の季節、広範囲を歩いて回るのは厳しい。そこでレンタサイクルはないかと探したところ、「バイクシェア」というアプリがあったので、それを利用することにした。市内に何か所かあるポートと呼ばれるところに自転車が置き場があり、そこに自転車さえあればどこで借りてもいいし、どこで返していいというもの。自転車の有無はアプリの地図で分かる仕組みだ。支払いはアプリでの決済なのでスマホがあれば利用できる。で、出発前に登録をして敦賀にやってきた。
宿に荷物を置いて身軽になってあらためて外へ出る。
これがバイクシェア。電動自転車なのが嬉しい。ママチャリサイズなので、人によっては乗りづらいかもしれないけど、誰でも乗ることができるのがいい。道案内はグーグルマップにお願いしていざ出発。
最初に行ったのが自転車で5分ほどで着いた氣比神宮だ。出たのは南参道だったので表に回る。横を流れる川の水がきれいだ。鳥居の前にポートがあったので、そこに停めて境内に入る。
大鳥居。官弊(かんぺい)大社氣比神宮の石柱が立つ。官幣大社とは国から幣帛(へいはく)を受ける神社のことで出雲大社や宇佐神宮と同じ社格で、官社の中では最も社格が高い。
目の前に来るとその大きさがより分かる。参道がまっすぐ延びる。
境内に入ると空気が変わるというか厳かな雰囲気になる。入ってすぐ左にある猿田彦神社。この写真右にあった長命水には気付かなかった。
このクラスの神社ともなると社務所も立派だ。
手水舎。今は使えないとある。
伊勢神宮のお札をおまつりしましょう。
旗揚松。南北朝の時代、足利尊氏に対抗した後醍醐天皇を奉じて気比神宮の宮司・氣比氏治が気比大明神の旗を掲げた松という。
拝殿へ。
外拝殿。落ち着いた色調の赤い柱が印象的だ。お参りをして、解説文などがあったのでそれを読んだりしたのだが、実はこの写真の左に本殿が見られる通路があったのに気付かずに東の門から出てしまった。残念…でも、また来る理由ができた。
氣比神宮は古代における北陸道の総鎮守であり、越前國の一之宮であった。上古に伊奢沙別命(いざさわけのみこと)が降臨し、これを祭神として祀ったのが始まりで、702(大宝2)年に社殿の修繕をした際に仲哀天皇、神功皇后を合祀した。さらに応神天皇、日本武尊、玉姫命、武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)も祀り、7柱とした。
古くから朝廷の崇敬が厚く、社領を多く持っていた。戦国時代には朝倉氏とともに織田信長と戦うも敗れ、社領は没収され、祭祀も廃絶となった。江戸時代、1614(慶長19)年に福井藩主・結城秀康によって社殿の造営、社家8家の復興、100石の寄進を受けた。これで再興、戦火による社殿の消失などもあったが、今なお格式の高い神社として鎮座している。
東の門、神門。
中は落ち着いていて、ホッとする。
控所。
拝殿から中鳥居。
室町時代の境内図。
お伊勢さんと繋がっているから菊の紋が掲げられている。
菊の紋があった神門から出る。目の前が駐車場だったから何もないと思っていたのだけど、その周辺にも摂社末社があるのを知らず見ずじまい。これでまた来る理由ができた(2回目)。
このすぐ近くに池があったので行ってみる。亀の池。
そこに建っているのが絵馬堂。でも、絵馬はなかったように思う。噴水が上がっている。
到着したときにあった南参道はここに通じているのだ。
この絵馬堂から拝殿の入り口にかけては広くなっている。
松尾芭蕉の句碑。芭蕉翁月五句とあり、右から「國々の 八景更に 氣比の月」、「月清し 遊行の持てる 砂の上」、「ふつき名の 角鹿(つぬが、敦賀の古称)や恋し 秋の月」、「月いづく 鐘は沈める 海の底」、「名月や 北國日和 定なき」と並ぶ。いずれも敦賀の月を詠んだものだ。
松尾芭蕉像。敦賀は「奥の細道」の終盤の地になる。
大鳥居へ戻る。
再び自転車に乗って次の目的地へと向かう。今回はこんなところで。
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