敦賀へ行ってきた その20
金ヶ崎緑地を後にして自転車を西へ走らせて、博物館通りに入る。
事前に調べておいた施設を撮るだけで中に入らないので参考にならないことをお許しください。これは「みなとつるが山車(やま)会館」。9月に行われる氣比神宮の例大祭で巡行する山車が展示されている。敦賀では「だし」ではなく、「やま」と呼ぶ。
隣のここもそう。敦賀市立博物館。敦賀の歴史や民俗についての資料が展示されている。博物館通りの由来となっている。どこも17時までなので、今回は仕方ないですね。
石造りの重厚な建物だ。これからも分かるように元々は敦賀にあった大和田銀行本店の建物を活用したものだ。4月に柳井に行ったときに訪れた「柳井市町並み資料館」も元銀行の建物を使ったものであった。
石畳の街並みは風情があっていい。電柱もなくすっきりしている。かつてはこの辺が敦賀経済の中心だった地域になる。
ほんの少し外れたところにある晴明神社。安倍晴明は天文学や地文学を研究するために越前で暮らしていた時期があった。拝殿の床下には晴明が占いに用いたとされる「祈念石」がご神体として安置されているという。
博物館通りに戻ったところにある市場建設記念碑。1915(大正4)年に清水友吉が土地建物を寄付してこの地に朝市場が建設されたことを記念して建てられた碑だ。いかにこの辺りが敦賀の中心として賑わっていたかが分かる。
右の駐車場のところに市場があった。
向かいの電器店にあった日立キドカラーの看板。1970年代に販売されていた日立のカラーテレビの愛称だけど、これを知っているのは50歳以上のおっさん世代の人だろう。
ここから先がさらによさそう。
古い建物がたくさん残る。これは古民家をリノベーションしたゲストハウス「ほぼ家」。家にいるような気持でくつろいでくださいということなのだろう。面白いネーミングだ。
これは何かの店舗というのではなさそうだ。窓以外は手は加えていないのがいい。
紙わらべ資料館。子どもたちの遊ぶ様子や昔話の一場面などを和紙を使って表現した作品が展示されている。
氣比神宮に行った際、神社が1945(昭和20)年に空襲を受けて焼失していると書かれていたので、よくこれだけ残ったなというのが正直なところである。
通りの突き当りには敦賀酒造の酒蔵がある。年季が入っているのだけど、2005(平成17)年に廃業している。
大きな杉玉。額には代表銘柄であった「福寿杯」と「氣比正宗」の名が見える。
でも、新幹線敦賀開業を機に敦賀のお酒を復活させようという動きがあり、小浜の酒造会社の協力で「月きよし」という銘柄が生まれたという。名前は芭蕉の詠んだ句の一節から取っている。これを知ったのは帰ってからのことだったので買うことはできなかった。予習が足りませんね。
石畳の街並みもここまで。
ここから北へ上がって突き当りを西へ向かう。道沿いには魚介類を扱う居酒屋が並び、つい入りたくなる。
松島川。正面に見える橋は敦賀港大橋で右の東へ行くと金ヶ崎緑地へ至る。岸には釣り船のチャーター船が見える。
廃業しているけど大黒屋という化粧品店。
残っていた電話番号を見ると4桁で、加入者番号だけだったから相当古くからあったことが分かる。
今回はこんなところで。
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