敦賀へ行ってきた その38
腹ごしらえもできたことだし、それでは赤穂城に入るとしよう。
「史蹟 赤穂城跡」
番屋。
赤穂藩の歴代藩主を見ると花岳寺に祀られている家だけではなく、浅野家の前に生駒家、池田家が名を連ねている。池田家は姫路藩、池田輝政が有名だが、その五男が赤穂藩主になっている。意外だったのが生駒家も赤穂を治めていたことだ。生駒家は豊臣政権下で三中老の幹部で讃岐一国、江戸幕府になってからは高松藩を治めていて、生駒騒動で転封、松平家が入るまで4代にわたって藩主を努めた。治世を見ると讃岐に入る前がここ赤穂となっている。まさかこんなところで讃岐にゆかりのある人にお目に掛かれるとは思わなかった。
大手門枡形。
この辺りは三之丸になるのだが、ここには藩の重臣の邸宅が並んでいる。これは赤穂城の縄張りを設計した近藤源八宅跡の長屋門。本当はこの向こうにも続いていたのだけど、現存するのはこの部分だけ。
こちらは大石内蔵助の長屋門。筆頭家老の家だけに風格がある。この長屋門の向こうを右に折れると大石神社に行けるのだけど後のこととして、まずは本丸のほうへ向かう。
一軒も残ってはいないけど、ここは武家屋敷公園。
二之丸の石垣が見えてきた。
二之丸門跡。
山鹿素行像。兵学者であり、儒学者でもある。高校の日本史で習った記憶があるので名前だけは知っているけど、赤穂藩に召し抱えられていた時期があり、配流されていた時期もあった。赤穂では城の縄張りを変更したり、兵学を指南したりした。
大石頼母助屋敷門。大石頼母は赤穂藩家老で内蔵助の大叔父にあたる。だからなのだろう、内蔵助より本丸に近い位置に屋敷があったわけだ。先ほどの山鹿素行が赤穂へ流されたときは屋敷の一角で暮らしていた。
ここからは二之丸庭園に入るのだけど、今回はこんなところで。
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