敦賀へ行ってきた その41
次に行くのは大石神社だ。
石柱の向こうには四十七士の石像が並ぶ。こちらが表門隊。
反対側には裏門隊が並ぶ。
大石神社鳥居。参道には松並木。
隋伸門の手前には大石の像が立つ。ここでは陣太鼓を持っている。
ここにも向かい合うように息子の主税が立っている。手にしているのは軍配か。
大願成就。ここにも永代橋を渡る義士の姿を描いた絵が掲出されている。
そういうこともあってか、いろいろご利益がありそう。
像やら絵に気を取られて正面の写真を撮っていなかった。これはお参りした帰り道に撮った義芳門。楠正成を祀る湊川神社から移築された銅葺きの立派な門だ。
門の扉には浅野と
大石の紋がある。
参拝記念の特別御朱印がある。
門をくぐると恵比寿様と
大黒様がお出迎え。
風鈴が吊るされている。気分だけでも涼しくなればということなのだろう。そういえば、風鈴の音色を聞くのもずいぶん久しぶりだ。
手水舎。
これまた偽名の大石主税ならぬ大星力弥良金がいる。
義士木像奉安殿。戦後、浅野長矩と四十七士に萱野三平を加えた49名の木像を製作し、展示している。
樽酒が並ぶ。
祭神だから至るところに大石がいる。
分かりにくいのだけど、この石碑、揮毫したのは田中角栄とある。右下の影になっているところに書いてある。
心響石。上に乗っている黒い石はわが讃岐で採れるサヌカイトという安山岩で、叩くとまるで鉄琴かと思うような澄み切った音が出る。なぜここにあるのかは分からない。
これは国家・君が代に出てくる。さざれ石。徳島の海南町から奉納されたという。
様々な大石が出迎えてくれる。
大石神社拝殿。明治天皇の宣旨をきっかけとして1900(明治33)年、神社創建が許される。祭神は大石以下四十七士と中折の烈士・萱野三平を主神とし、浅野の長直、長友、長矩の三代藩主、のちに藩主となる森家の先祖である森蘭丸(本能寺の変で信長と運命を供にした、あの森蘭丸)ら7人の武将を合祀している。明治になってからの創建というところが江戸時代においてはさすがにタブー視されていたのだなと思わせる。
ところで、拝殿はぐるり一周できるようになっていて、本殿も見られるとは思うのだけど、それには気付かず、拝殿を囲むように並んでいた刃傷松の廊下から討入り、大石以下の切腹を経て大石神社創建までが描かれた絵に見入ってしまった。
巨大な龍の絵馬。
同じように拝殿を囲むように境内社が7つある。上の写真は山鹿社と国助稲荷社以外の五社が祀られている。
義士宝物殿。
社務所。
拝殿から参道。
お参りを終えて、駅に戻る。義芳門を出てすぐ左の脇?の参道から神社を後にする。
あまり時間がない。早く駅に戻ろうと思う。今回はこんなところで。
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