こんぴらさんへ行ってきた その11
そろそろ最終回?だと思うのですが・・・。
ここを北へ曲がってJRやことでんの駅へ行くところをそうはせずに東へと向かう。ちなみに北への道は駅を無視してまっすぐ行くと多度津へ抜ける。これは多度津からの金比羅街道、多度津街道だ。この交差点をまっすぐ東へ延びる道は高松からの金毘羅街道、すなわち髙松街道だ。讃岐松平の高松藩が定めた、高松城・常磐橋を起点として整備した讃岐五街道のひとつにこの金比羅街道がある。
金倉川に架かる一之橋。車が邪魔ですね。ここにも金陵。
その脇には小さな公園があり、何やらイベントをやるようだ。
金倉川。駅側なので高灯籠が見える。
同じく金倉川。池田方面で奥に鞘橋が見える。今日は本当に風がない。
川沿いに建つ趣きのある旅館。
アーケード街に入る。開いている店もあるけど、シャッターが下りたままになっている店も少なくない。
口コミで広まったのか、コロッケが人気のようだ。
アスファルトではなく石が敷かれているのがいい。
味わい深い店が並ぶ…が、日曜だからかどうかほとんどの店が開いていない。
昨今の昭和ブームに乗っかれそう。
名前に惹かれる。食べたい、でもやっていない。
毎年4月に行われる金毘羅歌舞伎の絵。私は歌舞伎のことは分からないけど、町をあげて盛り上げようとしているのは分かる。ちなみにこれは2009(平成21)年の演目「平家如護島(へいけにょごのしま) 俊寛」を描いている。俊寛といえば、鹿ケ谷の陰謀か?
これは1985(昭和60)年の第1回の演目「再桜遇清水(さいかいざくらみそめのきよみず)」。
楽しいような寂しいようなアーケードを抜ける。
アーケードは尽きても街並みは続く。
おしゃれな琴平文具店。
町立ギャラリーACTことひら。文化や芸術の拠点となるべく開設された施設だ。元は銀行っぽいけど、それがまた味が出ていい。ここにも歌舞伎の絵が飾られていた。ちょうど琴平町文化祭が催されていた。
新町の鳥居。謂れによると、安政2年の建立とある。安政年間というと幕末で政情が不安定な時期になるが、そんな折り、地元の商人によって建立されたという。この画像だと向こうが金刀比羅、手前が高松となる。昔の人はこの道を通って金毘羅詣でをしていたわけだ。このあと、うどんを食べてことでん琴平駅へ戻る。
この道は丸亀へ通ずる金毘羅街道だ。丸亀と多度津のそれはいずれも本州から舟で渡ってきた人が多く通った道だ。特に備前の下津井と丸亀とを結ぶ航路は讃岐へのメインルートであった。
並灯籠。金毘羅五街道(高松、丸亀、多度津、伊予土佐、阿波の金比羅へ通ずる5つの街道)のそれぞれの終点にはこういう並び灯籠が設けられていたという。今でも多度津街道、伊予土佐街道の終着点には残っている。この燈篭もまた新町の鳥居と同じく幕末の嘉永~慶応に奉納されている。世情が厳しくなっていく中、金毘羅信仰は庶民の間にますます広まっていったのかもしれない。
それにしても、残っている建物がアーケード街のものよりもうひと昔前ではないかと思うようなものばかりで、開いていたらついフラッと立ち寄りな雰囲気を醸し出している店ばかりだ。
ことでん琴平駅に着いた。列車が来るまでの間、隣接する金刀比羅宮北神苑(ことひらぐうきたじんえん)で休憩する。
ここには高灯籠がある。これは金刀比羅を目指す参拝客が目印にしたもので、今もシンボルのようになっている。でも、これが建てられたのもまた安政年間と意外と新しい。みんな何かすがりたかったのだろう。少しすると、これから乗る高松築港行きが入ってきた。
なんと復刻カラーの1087+1088号だった。ことでんはやっぱりこの色だ。画像の1080形は旧塗装を身にまとった最後の系列ではないかと思う。このあと、岡本駅裏手にある奈良須池で沿線火災…野焼き?のせいで発車が30分遅れてしまったが、大相撲中継には間に合った。これにて長きにわたった「こんぴらさんへ行ってきた」を終わろうかと思います。
このとき買ったでは「金陵 初しぼり」はまだ飲んでいない。今回はこんなところで。
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