惜別 富良野-新得 その1

2024年4月2日

2024(令和6)年3月31日をもってJR北海道・根室本線の一部区間、富良野-新得間が廃止となる。そこで、今回は昨年の秋に行ってきた追悼旅行の模様と列車が走っていたときの様子をお届けしようと思う。

根室本線は函館本線の滝川から道東の根室を結ぶ443.8kmの路線だ。1889(明治32)年に着工し、1907(明治40)年に旭川-釧路間が全通、釧路線となった。のちの1913(大正2)年に滝川-富良野(当時は下富良野)間が開業、これを機に旭川-富良野間は富良野線となり、釧路線は滝川-釧路間となった。さらに工事は進み、1921(大正10)年に根室まで延伸、これで線名を根室本線とあらためて現在に至っている。

古くから北海道の大幹線であり、優等列車も多く設定されていた。1962(昭和37)年から函館-釧路間に特急「おおぞら」が運行を開始、現在では札幌-釧路間に短縮されてはいるものの、今なお健在だ。また、旧狩勝峠の景観は1966(昭和41)年に現在の新線に付け替えられるまで日本三大車窓に数えられるほど有名だった。

1981(昭和56)年には短絡線である石勝線が開業し、優等列車のほとんどが新線経由となるなど根室本線を取り巻く環境も変わっていった。民営化後の1990(平成2)年に滝川経由の優等列車がなくなり、滝川-新得間は普通列車しか走らなくなる。それでも滝川-釧路間を8時間ほどかけて走破する普通列車が存在するなど何かと楽しめた。2011年の旅ではこれに乗っている。

しかし、そこへ不幸が訪れる。2016(平成28)年8月に襲った台風10号による被害で富良野-音別間210.5kmにわたって運休、大半はすぐに復旧し、特急の運行も年末年始輸送には間に合った。でも結局、東鹿越-新得間だけが復旧することなく代行バスが運行されている。もう7年半にもなる。激甚災害に指定されたほどの台風なのだから国が積極的に復旧に力を貸してもよかったのにと思うのだが、今さら無理だ。

この台風被害の復旧が始まった頃、私はちょうど北海道旅行に出る直前だった。このときは廃止前の石勝線の夕張支線と留萌本線の留萌-増毛間、合わせて札沼線をまとめて乗るための旅で根室本線はほとんど関係なかったけど、石勝線の特急が運休だったので夕張まで行って帰ることができるのかとやきもきしたのを覚えている。

で、今回は代行バス区間のみならず、被災から復旧した富良野-東鹿越間も含めて富良野-新得間が廃止となる。富良野-東鹿越間だけ残しても盲腸線になるだけだから一緒に廃止ということになったものと思われる。そのあたりの経緯はwikipediaに詳しいので添付させていただきます。今回廃止される区間は1900(明治33)年に富良野側から工事が始まり、1907(明治40)年に新得に達した。なので、かれこれ117年の歴史がある。それが廃止となるのかと思うと一層寂しくなる。

昨年2023(令和5)年の秋に訪問したときは寝台特急「サンライズ瀬戸」で横浜へ行き、京急で移動して羽田-帯広の飛行機で北海道に入ると帯広から新得まで特急「とかち6号」で新得へと向かった。

落合方面

「とかち6号」を見送る。

帯広方面

跨線橋。帯広へとレールが延びる。

新得駅名標

駅名標。春には落合の文字が消える。

新得駅の花々

季節の花々が駅を彩る。

ホーロー駅名標

新得のホーロー駅名標。

しんとく

しんとく。

新得駅

新得駅。駅前の再開発なのか殺風景なことになっていた。駅舎は前回と同じだけど、駅周辺の撮影はしていなかったので、どんな様子だったのか比較ができない。

代行バスのりば案内

バスのりばの案内。

代行バスの案内

バスの時刻表。

そば せきぐち

新得では2時間ほど待ち時間があったので駅前の蕎麦屋に入る。

ざるそば

で、ざるそばを食べる。時期的に新そばはもうちょっと後かな。

代行バス

本日2本目が13時57分発のこのバス。「列車代行」と書かれている。

代行バス

行先標。十勝サホロリゾート経由というのはバスらしい。

行先標

こちらのほうが行先標というにふさわしい?こんな風に分断されなければ東鹿越という駅が終着になることはなかっただろう。

国道38号

国道38号がまっすぐ延びている。いかにも北海道という道。

十勝サホロリゾート

十勝サホロリゾート。半分隠れてしまった。

佐幌岳

正面は佐幌岳と思われる。

狩勝峠

バスはこのあとどんどん登る。その先に現れるは狩勝峠の雄大な景色。

空知川

峠を越えて空知川を渡る。

根室本線

根室本線が見えてきた。新得から落合にかけての区間はJRと国道はまったく別のところを走っている。

というのは、1966(昭和41)年までは国道38号にだいたい沿う形で敷かれていて、新狩勝トンネルの開通によって現在の路線に付け替えられた。冒頭で述べた日本三大車窓…先ほどの狩勝峠の風景はバスから見たものだけど、旧線時代もよく似た光景が見られたのだろうと思う。

落合

ちょっとした集落が形成されている。

落合駅

落合駅。バスだと降りられないのでこうして窓から撮るしかない。

さて、今回とは逆方向になるけど、13年前に滝川発釧路行きの普通列車に乗ったときのこの区間の写真も見てみよう。

滝川発釧路行き

ちなみに乗ったのはこれ。キハ40-777で国鉄色だった。滝川で撮ったもの。

大平原

勾配がきついのでJRがかなり迂回していて落合までは並走しない区間になっている。ただ、景観はすばらしく、鈍行でのんびり楽しみたい。が、ここには特急しか走っていない。

落合駅(2011年)

上落合信号場で石勝線と分かれて落合に着く。だから、厳密には富良野-上落合信号場が廃止となる。残念ながらその分岐の写真は撮っていなかった。

続きは次回以降。今回はこんなところで。