広島日帰り その2
今回の目的はスカイレールではあるけど、せっかくなので駅周辺を散策してみようと思う。
まずは駅から。
瀬野駅は1894(明治27)年に山陽鉄道の糸崎-広島間の開通とともに開業した。のちの1906(明治39)年に国有化、1909(明治42)年に線路名称の制定で山陽本線の駅となる。構内は島式ホーム2つの2面4線で側線はない。それでも昔の面影を今に残している。
広島方面。
瀬野駅をホームから。が、見えているのはスカイレールの駅。だから、駅舎からスカイレールが延びている。
瀬野駅全景。自由通路で北口と南口が結ばれている。左の黄色い建物の向こうに瀬野駅がある。
岡山方面。隣の八本松までの間に22.6‰の急勾配いわゆる「セノハチ越え」があり、それに備えるために上りの客車列車や貨物列車はここで補助機関車を付けていた。
駅を出て周辺を歩いてみる。これが瀬野駅北口。ロータリーがあってゆったりしている。
その脇に広い駐車場がある。
この駐車場だけなのか、もっと広かったのかは分からないけど、かつてこの辺り一帯は瀬野機関区だった。
瀬野機関区の解説板。当初は蒸気機関車、電化されてからは電気機関車による補機が連結され、今はEF210がその任に就いている。
駅横にあったポストには西国街道のステッカーが貼られてある。そう、瀬野は古くは山陽道、江戸時代には西国街道と呼ばれた街道筋の街で、西条の四日市宿と海田宿の間がかなり離れているのと間に立ちふさがる大山峠を控えているという理由から間の宿(あいのしゅく。休憩所)が設けられていた。
ということで、今度は南口へ回ってみよう。
瀬野駅南口。北口と同様にロータリーがある。手前の道路は国道2号だ。
大きな案内板がある。街道に沿う形で寺社仏閣が並んでいるばかりではなく、山間部には城址、古墳、貝塚などあらゆる時代のものが残っていて、古くから栄えていた街であることが分かる。
6年前の西日本豪雨ではこの地域も被害に遭っていて、この前後の区間もしばらく運休せざるを得なかった。
駅前の路地をまっすぐ南に下ると東西を走る道とぶつかる。この東西の道が西国街道だ。岡山方面。この緩いカーブを描いているのが昔の街道っぽくていい。
広島方面。これを少し西へ行ったところを南に折れると橋がある。
丸畑橋という。
その下を流れるのが瀬野川。岡山方面。
こちらは広島方面。このあと、列車は海田市付近まで瀬野川に沿って走る。といっても、その海田市で分かれるとすぐ河口になっている。
こうして、駅や周辺を見てからスカイレールに乗ったわけです。今回はこんなところで。
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