下松発下松行き その10
岩国まで行かず川西で降りたのは、錦川鉄道・錦川清流線に乗り換えるためだ。
次に乗る列車が来るまでの1時間弱をここ川西で過ごす。「せいりゅうしんいわくに」のところだけきれいなのは旧駅名の御庄から変更したからだ。
錦川鉄道・錦川清流線は1960(昭和35)年に開業した国鉄岩日線を起源に持つ。岩国と山口線の日原を結ぶ目的で建設が始まったこの路線は3年後には錦町まで開通。残りの区間は岩日北銭として日原に向けて工事が進んだ。しかし、当初から赤字続きのローカル線の建設に対する風当たりは強く、国鉄再建法の成立、特定地方交通線の指定を受けて工事は凍結。廃止には至らなかったものの、1987(昭和62)年にJRから離れ、第三セクター・錦川鉄道に移管。現在に至っている。
周防高森から乗ってきた列車を見送る。
ホームからの眺め。けっこう高い位置にあるので街の様子がよく分かる。駅がこういう位置にあるから存在感があって分かりやすいけど、そうでなければ路地裏の目立たない駅だったに違いない。
ホームから岩国城が見える。上の写真の中央の山の上に建つ。この城を見ると登城していた武士は大変だったんだろうなと、いつも思う。
駅は1面1線の停留所だ。岩国方面をのぞむ。
こちらは徳山方面。
錦川鉄道の起点を表す0キロポスト。
川西駅時刻表。岩徳線と錦川鉄道が合流する上りは当たり前だけど本数が多い。逆に下りを見るとわずかに岩徳線のほうが多く、元本線の面目を保っている格好だ。
名所案内。錦帯橋とその周辺の名所が並ぶ。
撮影していると錦川鉄道の9時26分発岩国行きがやって来た。ピンクの車体に桜が彩られたNT3000形だ。第三セクターや私鉄にはとんと疎いからこうしてたまに出会うと新鮮だ。
川西は作家宇野千代の生誕の地だ。生家や墓所が近い。でも、既に駅で10分いたから行かなかった。
駅舎を見上げる。
駅前にあった周辺案内図。だいぶくたびているので付け替えたほうがよさそう。
駅近くの交差点。欽明路道路が東西に走っていて、東は広島、西は徳山、北は錦帯橋、南は柳井となっている。広島方面の道は南東へカーブしているけど、この交差点をまっすぐ東へ数百メートル行けば錦川に出る。
この交差点まで来ただけで何もせずに駅に戻る。そして、10時02分発の錦町(にしきちょう)行き普通列車に乗る。やって来たのは先ほど岩国へ行った上の車両であった。
いよいよ初の錦川鉄道だ…でも、今回はこんなところで。
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