敦賀へ行ってきた その15

125系

土砂降りの中、13時38分の定刻に発車。窓には無数の水滴が着き、撮影は難しそう。まともな写真が撮れるのだろうか?

写真が撮れない

というのは、このカメラ、常時遠景写真の設定にしているのに上の画像の通り、目の前の窓に付着した水滴や汚れにピントが合ってしまうことがあるのだ。まして、今のように窓全面が雫で覆われていれば、向こうの景色ではなく窓の水滴にピントが合うのは必至。マクロ設定などすることはないのになぜこうなるのか?あまり、期待せずに外を眺めることにする。

スマホで雨雲レーダーの動きを見る。大雨はどうやらこの辺りだけのことのようだ。天気も気になるけど、窓の水気も列車の走りで早く飛ばしてほしい。

ということで、なるべくましな写真を載せることにします。

小浜線は敦賀と東舞鶴を結ぶ84.3キロの路線で、高浜湾、小浜湾に沿っている。1917(大正6)年に敦賀-十村(とむら)間の開業を皮切りに1922(大正11)年の若狭高浜-新舞鶴(今の東舞鶴)間の開業で全通した。北陸と山陰をショートカットできる路線ではあるけど、優等列車の誕生は意外と遅く、1961(昭和36)年に金沢-出雲市間の準急「わかさ」が最初だ。その後、1966(昭和41)年に名古屋・金沢-出雲市間の急行「大社」も誕生、さらに夏には関西、中京圏から臨時の海水浴列車なども運行されて賑わった時代もあった。今の普通列車しか走っていない状況からすると信じられないかもしれないけど、国鉄時代はこんなにも楽しかった。今は敦賀まで直流電化で繋がっているのだから大阪や京都から出る特急でも走らせれば面白いのにと思う。

与保呂川

東舞鶴を出てすぐ与保呂川(よほろがわ)を渡る。

青葉山?

たぶん青葉山と思われる。

三松駅

まともな写真が撮れないまま三松に着く。1面1線の無人駅なのに立派な駅舎を持っている。この手前、松尾寺-青郷(あおのごう)間の吉坂トンネルで福井県に入っている。

三松駅駅名標

三松の駅名標。

この天候で辺りが薄暗く、走行中の撮影がことごとくブレている。早く回復してほしい。

若狭和田を出ると「道の駅 シーサイド高浜」が見えてきて、その向こうに青戸入江(あおとのいりえ)が広がる。次の若狭本郷からはさらに入り江に近づく。青戸の大橋が大島半島に延びているのが見えるが、ブレているので掲載しません。ところで、この大島半島はもともと島だった。若狭和田あたりで砂州ができ、陸と繋がった。地図で見ると島根半島のように細長い。

青戸の入江

ようやくきれいに撮れたので載せられます。正面に見えるのが大島半島。広い入り江だから島に見える。

小浜市に入る

小浜市に入った。

加斗駅

加斗に着く。駅舎とホームの間は今でこそ草ボウボウだけど、以前は島式ホームの1面2線ののりばと側線があったようだ。でも、今はこちらのレールしか残っておらず、寂しくなっている。

加斗駅駅名標

駅名標と待合室。向こうには旧貨物ホームも残っている。雨はあがった?

若狭湾

高いところを走り、小浜湾が見える。

小浜駅

小浜線内の中心駅・小浜に着く。小浜では4分停車する。ここでまとまって乗ってくる。

上り東舞鶴行き

小浜は1918(大正7)年に十村から延伸されて開業した駅で、相対式1、島式1の2面3線に側線1本を持っている。3番線に1本列車が停まっているのは区間運転の車両だろうか。そこへ2番線に敦賀発東舞鶴行き普通列車が3分ほど遅れて入ってきた。

まだ小浜線は半分も来ていませんが、今回はこんなところで。