敦賀へ行ってきた その28
新疋田を出る。そして、間もなく全長5,170メートルの深坂トンネルに入る。
数分後にトンネルを出ると滋賀県に入り、複線がもうひとつ現れる。
ホームが見えてきて、
近江塩津に着く。少し高いところにある3面5線の駅だ。ここで湖西線と分かれる。なかなか立派だけど、北陸本線と湖西線の分岐がここになったというだけで、駅は山に囲まれた静かなところにある。
湖西線が右へ分かれる。
2つのトンネルを抜けて、3つめの余呉トンネルを出ると余呉湖が見えてきた。
意外と大きい。前回通ったときは冬だったので、ワカサギ釣りに来ていた車がこの駐車場にたくさん停まっていたのを覚えている。余呉湖から少し離れて余呉に着く。
余呉を出て、駅の手前のどこかで旧柳ヶ瀬線と合流して木ノ本に着いた。相対1、島式1の2面3線の橋上駅だ。かつては優等列車が停まっていた時代もあったから主要駅でもあった。秀吉と柴田勝家が戦った賤ケ岳の合戦の古戦場が近く、歴史を感じる街である。
左の車窓に目を向けると山が連なっている。伊吹山地だ。
高時川。
古めかしい跨線橋が残る虎姫。強い女性のようなイメージの名前の駅名だけど、由来は近くにある虎御前山の別名・虎姫山から取っているとのことで、虎姫とは蛇の化身の娘だという。どちらにせよ、おどろおどろしい名前に変わりはない。ここ虎姫の近くには刀や鉄砲を製造していた国友が近くにある。ちなみに1つ前の河毛の近くには浅井家の居城・小谷城跡がある。
この小さな川は姉川。そう、織田・徳川軍と浅井・朝倉軍が戦った姉川の合戦の姉川だ。
田んぼの向こうに伊吹山が見えてきた。
発車して約40分で長浜に着く。言わずと知れた大坂に入る前の秀吉の居城のあった場所だ。
長浜では降りたことがないので、長浜城へも旧長浜駅へも行ったことがない。また、東海道本線が開通するまではここから大津へ鉄道連絡船が就航していた。そもそも滋賀県を旅したことがないから彦根城も行っていないし、大津だって琵琶湖だって巡っていない。いつだって新快速で通り過ぎるだけだ。だからこそ、こうして通る度に滋賀県の歴史に触れたいと思うのである。
駅を出てすぐ見えてくるのが長浜鉄道文化館。長浜の鉄道に関する資料館だ。こうして、また行きたいところが増えるわけだ。
長浜まで来ると琵琶湖は近い。この水路の向こうは琵琶湖。
青々とした田んぼの先には琵琶湖が広がる。近江米はこの水に育まれている。
これまた古い跨線橋。そこに521系が停まっている。田村だ。1962(昭和37)年に北陸本線が交流電化された際、この駅の米原寄りにが直流と交流のデッドセクションが設けられた。そのため、大阪からやってきた列車は米原で直流電気機関車からワンポイントのディーゼル機関車へスイッチして田村まで行くと、今度は田村で交流電気機関車に付け替えて北上していたのだ。当時はまだ交直両用の電気機関車がなく直通できなかったからだ。そういう駅だったから、レールこそ外されているものの、構内は今でも広い。
次の坂田を出て、天野川を渡る。
ここまで各駅に停まってきたけど、どの駅もホームが長かった。本線の貫録を今に伝えて嬉しいけど、残念ながら大いに持て余していて、不必要な部分は柵をしてホームの端まで行けなくしてある。
東海道新幹線と合流して、
特急や新快速などの車両群が停泊している中を走り、
6時26分、1時間弱で米原に着いた。向こうに見えるのは6時36分発の新快速豊橋行きだ。
この間、わずか50キロ足らずの距離だったけど、戦国時代が好きな人にとっては抑えておきたいスポットが点在していて各駅で降りたいくらいに楽しい区間ではないかと思う。
今回はこんなところで。
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