気ままな旅 その5(鞆の浦② 沼名前神社)

沼名前(ぬなくま)神社鳥居。

鳴門屋。こういう店の和菓子は美味しいんだろうな。

国幣小社なので社格としては低いほうになるけど、国から幣帛を受けていただけあって、境内は広く大きそうだ。

長い参道がそれを物語っている。大きな燈籠の向こうにまた鳥居が見える。この右手には大観寺や霊山寺というお寺があるけど、撮っていないし、お参りもしていない。

注連柱と随身門。

石段の向こうに拝殿が見える。左右に多くの燈篭が並ぶ。途中にあった神馬舎は撮っていなかった。

手水舎。

見えにくいけど、手水舎の向こうに真ん中の白く大きいのが土蔵、左が神輿庫、右の小さな祠が天満宮が見える。

社務所。

沼名前神社拝殿。銅葺きの屋根が立派だ。
沼名前神社は鞆祇園宮とも呼ばれ、明治に渡守(わたす)神社と合祀して名を沼名前神社とした。祭神は大綿津見命(おおわたつみのみこと…渡守神社)、須佐之男命(すさのおのみこと…鞆祇園宮)となっている。1,800年以上前の仲哀天皇の御代、神功皇后が神社がないこの地に綿津見命を祀って海路の安全を祈ったのが始まりとされる。海上安全・漁業繁栄・家内安全・病気平癒・学業成就・安産等にご利益がある。現在は神社本庁の別表神社とのことなので、伊勢神宮の系統の神社のひとつである。

拝殿へ上がってお参りをする。三つ巴とともに祇園と呼ばれるだけあって五瓜に唐花(ごかにからはな)の紋が入っている。そして、賽銭箱には菊の紋も見える。これは国幣小社だったし、今は神社本庁に列するからだろう。

拝殿の奥には本殿が見える。

拝殿と本殿を斜めから。

八幡社。

力石。江戸時代に祭礼行われた際にこの石を使って力比べをしたという。

左から竈社、塞社と松尾社、稲荷社、地主社と厳島社と艮(うしとら)社。

渡守社。

遥拝所。宮中すなわち皇居にある歴代天皇や皇族を祀る皇霊殿の遥拝所と思われる。

この注連柱のあるところから下ります。

下りると赤い鳥居が立つ。

能見所。

能舞台。秀吉が愛用し、伏見城内にあったという。のちに福山初代藩主水野勝成が徳川2代将軍秀忠より譲り受け、三代水野勝貞が沼名前神社に寄進し、1738(元文3)年にこの場所に設置された。当初は運搬が可能な組み立て式というのが秀吉らしいなと思う。毎年1月3日には能が奉納される。

能楽「鞆の浦」の碑。

随身門を出てると参集所がある。

さらに進んで森下博像。氏は仁丹の創業者で、鞆の出身だ。電柱の街区表示板に「仁丹」の広告があったのはそういうことだったのかと納得する。JR北海道のサッポロビールみたいだ。
多くの摂社や末社があったりと見るところは多かった。何より気兼ねなくゆっくり見て回れたのがよかった。
今回はこんなところで。







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