気ままな旅 その9(鞆の浦⑥ 對潮楼)

鞆の浦の見どころはたくさんあるけど、時間がないので全部回れない。で、今回最後のスポットとして對潮楼へ向かう。

坂と階段を上って、右上に石燈籠が見えるところがそうだ。

對潮楼は福禅寺の境内にある。對潮楼は江戸時代の1690年ころに建てられた。朝鮮通信使のための迎賓館として使用され、日本と朝鮮の学者や書家の交流の場となった。

海岸山とはこの寺の山号。

福禅寺本堂。このお寺ができたのは對潮楼ができるずっと前、平安時代の950年ころで、空也によって創建された。

扁額には「観音堂」とある。

戦前の鞆の浦の案内図。

三猿。日光東照宮のものと同じく左甚五郎の作。残念ながら本堂内は撮影禁止なので写真は對潮楼のもののみです。本堂には千手観音や地蔵菩薩などが祀られている。

先ほどから目にする「日東第一形勝」とは朝鮮通信使が對潮楼から見た瀬戸内海とその島々の景観を見て、こう評したとされる。お褒めに預かり光栄です。

江戸時代の扁額。歴史を今に伝えてくれるものが残っているのが嬉しい。

欄間に菊の紋がある。これは福禅寺が村上天皇の勅願寺(天皇が国家護持、皇室の繁栄などを願って建てられたお寺)だからだ。

これが日東第一形勝と称された景観。雨に濡れると水墨画になりそうな画だ。手前に見えるのは弁天島で、弁財天福寿堂が立つ。向こうの島は仙酔島。

この船は仙酔島とを結ぶ渡船で、平成いろは丸という。いろは丸とは伊予の大洲藩が所有していた蒸気船で、坂本龍馬の海援隊がこの船で付近を航行中に紀州藩の明光丸と衝突事故を起こしたことで知られる。この画だけ見ると、江戸時代と言われても何の疑いもなく受け入れられそう。

弁天島(手前)、仙酔島(奥)、皇后島(右)。皇后島とは神功(じんぐう)皇后がこの島に上陸されたことによる。

船のりば。中ほどのホテルの向こうに見えるのは円福寺。円福寺には芭蕉の句碑がある。

通ってきた道を見る。けっこう高いところにいる。

座ってただ静かにこの景観を楽しむ人も多い。

對潮楼は柱も壁も天井も昔のまま。

ここにも海岸山の扁額がある。下にあるのは銅鑼?銅でできている。

こういうのもいいですね。

写経もできる。右は阿吽像の阿形。

こちらは吽形。

龍の口から水は出ていないようです。

福禅寺を後にして、元の道に下りる。そこから見た對潮楼。あらためて高い石垣だ。

大伴旅人(おおとものたびと)が歌った万葉集にある歌の碑。漢詩だし、崩し文字なので読めない。

むろの木。

福山市営渡船場。平成いろは丸はここで発着する。

次の瓶を待つ人で賑わっている。このときは春休みだったので家族連れも多く見られた。

看板と一緒に写りたい人の波は引きも切らず、ひっきりなしにやって来る。いつまでも待っていられないので、人がいるけど、撮りました。数年前に行った宗谷岬では行列ができていて辟易したものだ。
これで鞆の浦観光は終わりです。観光マップを見ると見たいところはもっとあるけど、次のバスも迫っていて、これ以上は回れない。それもあるけど、また来たいと思った。最低でも半日はいるだろう。観光プラス食事やお茶をする時間くらいはほしい。ただ、先日まで続いた「雪とローカル鉄道」で訪れた奈良井宿がそうだったように、今回の鞆の浦も平日だった、これはたいへんよかった。人がまばらで撮影するのにまったく問題なかった。

で、すぐ近くの鞆港から10時43分発の福山駅行きのバスで戻る。正味1時間半といったところだろうか。そりゃ、全然時間が足りないわ。
今回はこんなところで。







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