伊予西条へ行ってきた その2
最初の列車である琴平行き普通列車が高松を定刻の6時12分に出る。日曜日の下り始発なので乗客はまばらだ。
髙松運転所を横目に見ながら西へ進む。快速「マリンライナー」の編成が2つ。多分、8号と10号になるものと思われる。
2700系が並ぶ。
7200形。185系気動車も見える。
ターンテーブルが残る。数年前まではコンクリート製の比較的新しい給水塔があったけど、取り壊されてしまった。どの写真もブレていてすみません。も6時を回っているけど、この曇天ではピタッと捉えられない。
香東川を渡る。風がないので川面が鏡のようになっているけど、茶色っぽく見えるのは昨夜の雨のせいか。天気がよければ空も川も青いんですが、仕方ない。
続いては本津川。
四国桃太郎貨物駅。コンテナ群の中にEF210が見える。
向こうには勝賀山。
鬼無駅のホームにはゲームの「桃太郎電鉄」のキャラクターの石像が立つ。
次の端岡は一部の「マリンライナー」や「サンポート」といった快速が停車する髙松-坂出間の主要駅の一つ。駅の改良で2面3線だったものが3面4線となっていて、それが列車の大幅増加に貢献している。
国分を出て、国道11号の高架をくぐると蓮光寺山が田んぼに映る。国分駅の近くにはその名の通り、讃岐国分寺があり、一度行ったことがあるが境内はなかなか広い。今度また行ってみて記事にしたいと思っている。
讃岐の国府があった讃岐府中。奥に見える神社は若山八幡宮。調べてみると香川県神社庁へたどり着いたので、すなわち伊勢神宮に連なる神社ということになる。車で近くを通る際、見かける神社なので気にはなっていたけど、それほどまでに由緒ある神社なのかとあらためて崇敬の念を抱くのであった(オーバー)。この辺りは律令時代、讃岐国の中心だったので、国府跡やお寺や神社などが点在している。散策するのも楽しそうだ。
綾川。どの川もいつもよりかなり水量が多い。よほど雨が降ったのだろう。
烏帽子山(右)と五夜ヶ嶽(ごやがたけ)。山の中腹は採石場になっていて、けっこう削り取られている。
鴨川駅。ここも線路改良で2面2線から2面4線になっている。おかげでこの駅も快速が停まるようになった。
八十場駅手前の田んぼ。苗が整然と並んでいる。晴れていれば、向こうに瀬戸大橋が見られるはずなのに曇っていては無理。
覆いが掛けられているのは坂出駅前の閉店したサティ。駅周辺の商店街を駆逐したのがサティだった。そして、時は流れ、今度は郊外店がサティを駆逐した。因果応報といっていいのかどうなのか?でも、私たちのような鉄道旅をしている者にとって駅前の大型店はなにかと便利なだけに閉店は残念だ。地元の私が旅で利用することはないけど、県外から来た鉄道旅行者には必要だったのではないか。
坂出で交換した高松行き。あちらも乗客はほとんど乗っていない。
坂出の街、角山(つのやま)を通り過ぎると右手に聖通寺山(しょうつうじやま)が現れる。
右手に瀬戸大橋が見える。
予讃線、瀬戸大橋線のデルタ地帯と大束川(だいそくがわ)。
宇多津も人影は少ない。
香川県唯一の一級河川、土器川。
丸亀。高松行きの普通列車と交換。掲載していないけど、この他にも上り列車とすれ違って来たけど、いずれも7200系だった。
丸亀を出て、讃岐塩屋を過ぎると金倉川を渡る。金倉川といえば、琴平へ行ったときの記事を貼っておきます。
多度津から多度津工場へ延びる線路。
6時56分、多度津着。私はここで降りて琴平行きを見送る。
多度津は香川県最初の鉄道・讃岐鉄道の丸亀-琴平間の駅として1889(明治22)年に開業した。日本では9番目の開業というから先進的であったといえよう。8年後の1897(明治30)年には髙松まで延伸。また、のちに食堂車の営業も行ったりと積極的な経営を展開していたようだ。1902(明治35)年に山陽鉄道に買収、1906(明治39)年に国有化されている。
次に乗るのは7時04分発の伊予西条行き。同じく7200系だ。これで一気に西条を目指す。
1番線には8000系の特急「しおかぜ4号・いしづち4号」岡山・高松行きだ。右手上にホームに垂直に延びる高架がある。これは自由通路で多度津町役場へ通ずる。以前は駅前からまっすぐ行くと数分で役場に着いていた。それが今は役場が駅の東へ移転して、この自由通路を通って行くことになった。階段の上り下りを考えるとかえって時間がかかるような気がするが如何に。
7時04分、時間が来て発車。でも、今回はこんなところで。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません