下松発下松行き その5
ありそうにないところに突然駅が現れた。
「その4」で紹介した生野屋と同じく請願によって誕生した大河内。駅前を見る限り、何もなさそうだけど、ここも近くに団地がある。同じ歴史を歩んで現在に至っている。
高いところは走っているけど、今のところ急勾配というほどでもない。並走しているのは旧西国街道の国道2号だ。
また草に覆われた廃ホームが現れて、
勝間。周囲を見下ろす位置にある駅ながらかつては交換可能駅だった。盛り土をしてその上に駅を設けたようだ。
廃ホームが残っているのが寂しくもあり、往時に思い馳せることのできる遺構でもあり、いつまでも遺っていほしいものだ。駅員が降りたであろう階段が残る。
ホームの様子。
この階段を下りたところに駅舎があったようだ。
依然高いところを走っている。集落があり、田畑があり、学校も見える。
再び長いホーム。
高水の近くに呼坂(よびさか)というところがあり、そこは西国街道の宿場町であった。そういえば、前日訪れた島田駅と高水駅行きを結ぶ広域生活交通と呼ばれるバスが出ていたことを思い出す。双方は直線距離にして6キロ程度なので走っていてもおかしくはない。
高水駅舎。それだけに駅舎も周防久保同様風格がある。ここが岩徳線全通までの岩徳西線の最後の終着駅であった。といっても、その年のうちに全通したので終着駅だったのはわずか8か月であった。
驚くことにかつては2面3線だったもよう。それはY字になっているホーム上屋の形状からも分かる。
名所案内が島田駅とほぼ一緒。違うのは烏帽子岳があるかないかだけだ。それほど離れていないから当然といえば当然か。
駅舎にある駅名標。紫っぽく見えるのは光線の具合で、実際はJR西日本のコーポレートカラーである青色だ。その隣には飛来地らしく鶴のはく製が展示されている。
各駅案内のような記事になっている。これでいいのか?悪いのか?今回はこんなところで。
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