奥出雲へ行ってきた その2

国道183号

平子を出て、西城の街を通り過ぎて東へ向かう。芸備線の主要駅たる備後西城を無視するとは恐れ多いけど、当然ながら街に入っていくことになるので、先を急ぐ私たちは申し訳ないと思いつつも駅も見ずに東進した。

上の写真でもちらっと写っているけど、車両が見える。

「おい、列車が停まっとる」

「すぐそこが駅か」

慌てて車をすぐ先の右手の空き地に停めて、その列車を撮ることにした。

キハ120

三次行きのキハ120であった。いい具合にいい空き地があったものだ。

比婆山駅

で、上の写真に見える左の建物の向こうに比婆山駅があった。赤い屋根の社殿風の駅舎が特徴的で、庭の木々も手よく入れされている。

比婆山駅

比婆山駅は1933(昭和8)年に備後十日町(現・三次)-備後庄原間に国鉄庄原線が開業、その2年後に備後落合に延伸した際に備後熊野駅として開業した。さらに翌年には備中神代から延びてきた同じく国鉄三神線と結ばれて三神線の駅となり、そして翌1937(昭和12)年に備後十日町-広島間の芸備鉄道を国有化して備中神代-広島間を国鉄芸備線となった。今の駅名になったのは1956(昭和31)年のことであった。

駅開業記念碑

駅から離れてはいるものの、熊野神社があり、その最寄りであることから1935(昭和10)年の開業当初の駅名は先述の通り、備後熊野であった。伊邪那美命(いざなみのみこと)の陵墓といわれている比婆山御陵などイザナミの伝承が残る熊野神社の玄関口として請願されたのがきっかけで駅が設けられた。地元ではさらに神社の社格を上げようと国に働きかけたが、戦争で話がなくなってしまったという。こんな話は当時はよくあったに違いない。上の石碑は備後熊野駅開業を祝う記念碑だ。

熊野神社は見えないけど、周りに見えているものを撮っていく。

駅名扁額

比婆山駅といえば、何といってもこの扁額。昔どこかの駅で使われていた駅の時刻表を再利用している。これについてはこのシリーズとは別建てで書こうと思っています。先般終わった「下松発下松行き その12」に出てくる錦川鉄道の守内かさ神駅では駅名標をよく見ると「田布施」と書かれていた。会社を跨いで遠路はるばるやってくることもあるのかと思ったけど、ここにもあるのだ。

駅前の商店

かつて委託販売をしていた駅前の商店。

立派な庭園
立派な庭園

ローカル駅とは思えないような立派な庭。

出札口

窓口を塞がれている出札口。

待合室

待合室。

駅舎内の様子

駅正面から改札口。窓がサッシである以外は開業のままの木造駅舎だ。

改札口跡

改札の跡。跡が丸いので鉄製だったかもしれない。

比婆山駅の案内

地元の観光協会が作成した駅周辺の観光案内図。

乗車記念印

乗車記念印。駅前の商店でもらえるとある。ただし、鉄道利用者に限るようだ。利用促進のためだから当然だろう。今日の私たちのようなのは対象外だ。

元時刻表?

ここには芸備線の列車が書き込まれていたのだろうか?

国定公園比婆山

改札の頭上にある。「国定公園 比婆山」の案内板。平子駅のものと似ている。

安全第一

安全第一。

比婆山駅駅名標

通常の駅名標。主要駅に挟まれて、と思ったけど、この駅も十分存在感がある。

三次方面

三次方面。

備後落合方面

備後落合方面。三芳方面とは違って、こちらは緩やかにカーブを描いている。

昔は2面2線

ご覧の通り、昔は列車交換ができた。レールはないけど、朽ちながらもホームが残されている点では当時を知る上で貴重な史料といえるだろう。

駅全景

駅横の踏切から駅全景。草に覆われた廃ホームが盛り土のようになっている。

ホームと駅舎

ホームから駅舎。このスペースにはここにレールがあったことを示す。1972(昭和47)年までは荷扱いがあった

構内踏切

ホームへの階段とマーガレット。

三次方面

再び備後落合方面。向こうの白い建物を通って側線は駅舎へ入ってきていたものと思われる。

構内踏切からホーム

構内踏切からホーム。

三次方面

三次方面をもう1枚。ここに列車が来れば画になりそう。

比婆山駅、名前もさることながら駅の歴史がぎゅっと詰まったような大変興味深い駅であった。

今回はこんなところで。