奥出雲へ行ってきた その5
八川をあとにした私たちはさらに北を目指す。
と、その前にちょっと寄り道して西へ向かう。「見せたいもんがあるんや」と楠君が言う。木次線に沿って少し走って、ここまで通ってきた国道314号から県道270号へ入る。5分ほど走ると田んぼの真ん中の三叉路に車を停める。
「なんでこんなところにこんなもんがあるんや」
「やろ?」
この辺りは𠮷ヶ口という地域で、地図で見ると大谷集会所となっている。この車両が集会所として使われているようだ。
ここに書かれている鬼の舌震(おにのしたぶるい)にはさらに奥に入るので寄っていない。また絲原(いとはら)記念館も通っていない。リンクはいずれも奥出雲町公式観光ガイドからのものです。
この車両は古くからの鉄道ファンならご存じの貨物列車の機関車の次位や最後尾に連結されていた車掌車・ヨ6000だ。私が知っているのは最後尾だけの連結になってからだけど、いいアクセントになっていたのを覚えている。
ヨ6404。ヨ6000形の404号機になる。
「修学旅行おもいで号」。下は切れているけど、かろうじて米子鉄道管理局と読める。昔の修学旅行は新幹線が開業してもなお、多くは在来線を使っており、各地で修学旅行列車が設定されていた。これはその名残りだ。なぜ貨物列車用の車掌車にこのようなサボが付けられているかは不明だけど貴重な史料だ。
中を見るとカーペットが並べてあり、暖房器具やポットもあり、集まって何かできそうな感じ。網棚が残っているのが見える。反対から撮った写真には扇風機が見えた。これはちゃんと稼働するのだろう。
警報機もあれば、転轍器標識やポイントリバーも見える。手前にはテーブルと椅子もあり、外でも集会ができるようになっている。
錦町に続いて連日の腕木式信号機。
道路標識。私たちはこの後、右へカーブする県道270号を引き続き走っていく。
車掌車を逆サイトから撮る。
この小屋は物置か何かなのだろう。
思わぬ出会いは楠君に感謝。こういうのは地元の人でないと分からない。いや、楠君も地元ではないですけど…とにかく感謝です。
今回はこんなところで。
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