四国小回り その20

多度津行き普通列車

多度津行き普通列車は13時35分に発車する。

専用線跡

阿波池田を出ると、左手にレールがあったような跡が見える。

専用線跡

そして、左からカーブを描いた道路が近づいてくる。これらはかつて池田に日本専売公社の工場があった頃の専用線の跡だ。池田町は葉タバコの産地で、池田高校の蔦元監督の実家は葉タバコ農家であった。

もうすぐ吉野川

少し高いところを走る。

DMVラッピング車両

徳島線との分岐駅の佃では蔵本で降りたときに出会ったDMVのラッピング車両と再会する。うまく間合いが取れずにこんなアップ写真になってしまった。

吉野川

徳島線と分かれると吉野川を渡る。

案山子

案山子が見送ってくれる。

上り勾配

吉野川を過ぎると勾配を登り始める。かなりの勾配だ。佃から讃岐財田にかけては最大25‰の勾配がある。

吉野川橋梁と徳島自動車道

こんなにカーブを描いている。といってもカーブ具合は分かりにくいけど、正面に真一文字に延びる水色っぽい線が徳島自動車道で、その手前の画像のほぼ中央に緑のトラス橋があるのが見えるだろうか?森に木を隠す、闇夜のカラスのごとくだけど、それが今渡ってきた吉野川橋梁だ。で、この写真でいうと鉄橋から左へ向かい、画像からはみ出て、大きくカーブを描いて今この位置にいる。これは鉄道ではヘアピンカーブといっていいくらいの大カーブだ。

池田の街並み

池田の街を見下ろしていて、しかもあんなに小さく見えるくらい高いところまで上っている。これほど迂回しなければ池田へ行けないくらいの急勾配だということだ。紹介しながら言うのもなんだけど、この区間の光景はどちらかというと下り列車から見るほうが面白い。

箸蔵駅

箸蔵に着く。1929年(昭和4年)に土讃線・讃岐財田-佃間とともに開業した2面2線の駅だ。箸蔵寺へ歩いてお参りに行ったのだろうか、大きな荷物を持った人が乗ってくる。形状からして自転車とも思えるので、だとしたら参拝客ではないだろう。ちなみに箸蔵寺へは駅の近くに箸蔵山ロープウェイがあるからそれを利用する人が多いけど、鉄道から乗り換える人は少なく、車でのりばまで来る人がほとんどだ。一方、歩いて上り下りする人もいる。箸蔵寺は金毘羅さんの奥の院なので金毘羅さんから歩いてお参りに来る人もいるという。

池田とお別れ

右にカーブするとすぐに左右が狭まり、木々が迫る。列車はエンジンを唸らせて、さらに登る。池田の街ともお別れだ。

坪尻駅

トンネルを抜けて少し行くとちょっと開けて右にレール、左にホームや駅舎が現れてスイッチバックの坪尻に着いた。ホームには何人かいて、乗る人もいれば、そのまま残る人もいる。もちろん、ここで降りる人もいて、それぞれに坪尻駅を楽しんでいる。

坪尻は先ほどの箸蔵とともに1929年(昭和4年)に坪尻信号場として誕生した。そして、1950年(昭和25年)に駅となった。驚くべきことに1970年(昭和45年)に無人化されるまで小口貨物や手荷物、小荷物の取り扱いがあったという。その必要があるくらい需要があったということであり、今の秘境駅からは想像もできないほど賑わっていたのだ。この駅舎は往時の盛況を雄弁に物語っているのかもしれない。

次回は徳島、香川県境の猪鼻峠を越えていきます。

今回はこんなところで。