雪とローカル鉄道 その14(長野~松本)

では、松本へ向かおう。結局、15分ほど遅れて10時25分頃の発車となる。

211系がお休み中。

しなの鉄道のSR1系。これは初見。本当は昨日乗るはずだったんですが…。

安茂里を出て犀川を渡る。犀川はこのあと千曲川と合流する。

しばらく北陸新幹線と並走する。

篠ノ井でしなの鉄道と分岐する。北陸新幹線との並走もここで終わりだ。
篠ノ井線は1900(明治33)年に篠ノ井-西条間が開業し、さらに1902(明治35)年6月に西条-松本、12月に松本-塩尻と延伸、ここに篠ノ井線自体は全通している。鉄路はなお1906(明治39)年に岡谷まで延伸して八王子-篠ノ井が全通し、1909(明治42)年10月に線路名称を中央東線とする。12月には塩尻-洗馬(せば)が開業したことで、塩尻-篠ノ井が支線となる。1911(明治44)年に中央本線が全通したことで、塩尻-篠ノ井を中央本線から分離して篠ノ井線と改めて現在に至っている。

篠ノ井を出ると積雪はかなり浅くなっている。

稲荷山。

稲荷山を出ると列車は右へ右へカーブしながらみるみる登っていく。

どんどん登る。

そうして減速する。右手にはどこからともなくレールが現れる。

何度も通っているけど、これははじめてお目に掛かる。稲荷山と姨捨の駅間が長いから間に駅が欲しくなる気持ちは分かる。

この看板を通り過ぎて、右から現れたレールと合流するとそのレールを通って引き返す。つまり、スイッチバックだ。楠君が「ここ?」と聞いてくる。姨捨駅のことは言っていないのでここではないのは確かだけど、前に乗ったのが10年前だから姨捨以外にこんな信号場があったんだと恥ずかしながら再認識するのであった。あ、ここは桑ノ原信号場です。
桑ノ原信号場から姨捨駅へ。杉ノ原信号場に入ったのは長野行き普通列車の通過待ちのためだ。

日本三大車窓、姨捨駅ホームからの展望。善光寺平の中央には千曲川が横たわる。あとの2つは北海道の根室本線の石狩峠越え(特に旧線時代がいいらしい)、九州の肥薩線の矢岳越えです。
「何これ?」と楠君は感嘆することしきりだ。本当は下りに乗ってパッと開けるところを見せたかったのだけど、行程上こうするしかなかった。

駅舎は向こうのホームにある。申し訳ありませんが、駅舎は上の動画の最後にチラッと写っているのだけしかありません。姨捨では3分ほど停車時間があるけど、3分では駅舎側には行けない。他の列車と比べて10分ほど所要時間が長くなっているから姨捨で10分停車か?と思ったけど、桑ノ原信号場でも待避をしたのでそれで長くなっていたのだ。でも、2回もスイッチバックが楽しめるので、これはこれでよかった。

これは分かりやすい。前通ったときはホームに下りられなかったから当時からあるのかどうか分からない。夏の棚田も見てみたい。

駅名標を撮っていないので、電柱の駅名板と善光寺平。
で、停車中に来たのが特急「しなの3号」長野行き。もう少しゆっくり来てもよかったんですよ。

本線に合流しながら

善光寺平に別れを告げる。このあと、2,656メートルの冠着(かむりき)トンネルに入る。

そうして冠着に着く。ここで長野行き普通列車と交換する。

聖高原。前の冠着はきれいに撮れていなかったので載せていないけど、この聖高原と同じような木造駅舎だった。

坂北。

西条。これは「にしじょう」と読む。

ここで目を引いたのは駅舎もだけど、この駅名標だ。これは国鉄時代からのものに違いない。
西条から明科(あかしな)にかけては3つの白坂トンネルがあるが、これは路線の付け替えによって造られた新線だ。それに際してこれらのトンネルは複線仕様になっている。でも、残念ながら複線化はなされていない。

明科に着く。ここで特急「しなの5号」と行き違う。

で、この画像からも分かるように雪がまったくない。西条から130メートルあまり、冠着からだと150メートル下りているのだから当然か。私たちもまさか雪がなくなるとは思ってもいなかったので、拍子抜けしてしまった。

リニューアルしたっぽいきれいな明科の駅舎。

明科を出ると犀川に沿う。安茂里以来の再会。

田沢を出るとレールが分岐して停まった。平瀬信号場だ。
停まるので、当然列車が来る。

大糸線の北松本。大糸線の駅なのでこの列車は停まらない。


遅れは回復されず、11時43分頃松本に着いた。
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